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自由な時間を享受できる社会へ 吉見俊哉『大学は何処へ』 動画「名著を読み解く」#6

コロナ禍に突入した2020年春から、大学ではオンライン授業が前提となり、キャンパスから学生の姿が消えた。2022年の春を迎えた現在では、対面の授業も復活しつつあり(各大学の判断によって対応が異なり、一部ではオンラインも継続)、少しずつ元の姿に戻ろうとしている。

だが、コロナ禍で普及したオンライン授業の諸問題(授業の質、学費をはじめ、大学で学ぶことの意義への疑問など、多岐に及ぶ)は、コロナ禍をきっかけとして、これまで抱えていた問題が一気に噴出して顕在化することとなった。大学が抱える問題点は、その設立当時から大きくボタンを掛け違えたまま現在に到っている。その構造と背景を的確に指摘しているのが、吉見俊哉『大学は何処へ 未来への設計図』(岩波新書)である。

本書は大学が入り込んだ隘路のいびつさ、深さの「絶望のリスト」のような様相を呈しており、読めば読むほどめまいがしてくる。。


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ボタンの掛け違い

12,13世紀のヨーロッパでは、学識のある人物を求めて、学徒が何ヶ月も旅をして、その都市に集まり学び舎を形成していった。このような「異質な者達の広域的な横断性」が、大学の自由の根幹を成す。ところが、特に明治日本において、西洋の技術的な知を新国家に近代化のため導入するために、それぞれの分野の「いいとこどりが」なされ、学問的体系性よりも、役に立つ知をひたすら寄せ集めて断片化して摂取する道を選んだ。国家エリートを養成するために、大学が自ら垂直的な権力に自ら包摂されていった

しかも、理工系に優位に置き、人文学系の基礎的な知を下位に置く方向で構造化したことが、ボタンの掛け違いとなり、文系理系の貧富の格差が生じることとなった。

戦後日本では、旧制高校と新制高校の根本的な違いも十分には認識されてこなかったし、その旧制高校に内包されていたリベラルアーツが、高等教育にとっていかに根本的かも認識されてこなかった。これが、戦後日本の大学にとっての、最も根本的なボタンの掛け違いである。

『大学は何処へ』p.107

もっぱら日本では、大学の入試ばかりが関心の的であり、大学入学後の学びについては全く関心が払われない。学生も入学してから大学生活に慣れる間もなくすぐに就職活動となり、人生を変えるような「出会い」を得る可能性がかつてよりも小さくなっている。教員も効率的に成果を上げることを強いられる。学長も大学をうまく「経営」する戦略ばかりが求められる。そのため、知的創造を生むための希少な「自由な時間」を確保することが著しく困難となり、大学の制度も教員も学生もみんな疲労困憊に陥っている。大学の9月入学も、構造的に実現が難しい。コロナ禍による日本的な「同調圧力」もまた、大学の息苦しさにいっそう拍車をかけている。

人生で複数回大学に通う時代に

では、新しい大学のビジョンは、どのような方法があるのか?
吉見は、「人生で大学に3回入るのが当たり前の社会をいかに作っていくか」がポイントだと言う。これはリンダ・グラットンが『LIFE SHIFT』で言及しているような、大学を高校卒業だけ通う学歴形成の通過儀礼ではなく、生涯を通して、自らの学ぶ意欲に応じて、入学を何回も経験して学びを深める「キャリアの転轍機」として大学を利用する方法だ。大学におけるリカレント(=循環)教育をデザインしていくことで、大学と社会を未来に結び直していくことが可能になると吉見は提言する。

40代や50代になってから、大学での学びを複数から経験できるのは、学識を深めキャリアを形成する上でも大変有意義な学びになると私は思う。大人になってからの大学入学を社会がもっと受容し、後押しする制度があると,なおのことよい。

キャンパスに通うことの意義

私の経験からすると、大学というキャンパスに通うことの意義は、実際に人と会うことにある。むしろ、友人や先生と会うために大学に行っていたという側面が大きい。

大学では授業のコマ毎に履修する人が異なるため、コマが変わるたびに教室で会う友人が変わるのは、同じ教室内でひたすら一日中過ごす高校時代までと違って、大変新鮮な経験であった。授業後に廊下で立ち話をしたり、ロビーで集まった友人と話に花が咲いて、急遽大学近くの喫茶店や居酒屋で話の続きを行うといった、突発的な予想外の「放課後」を経験するのは、オンライン授業だけでは絶対に不可能だ。

また、前期は5限が終わってもまだ日が差して明るくても、後期になると4限開始時にはすでに外は真っ暗となり、教室の照明具合や冷暖房のような皮膚感覚も大きく変化する。今でも一コマ一コマがかけがえのない思い出として、教室の光景をありありと懐かしく思い出すことができる。実際に顔をつきあわせることで形成される人間関係は,リアルならではの貴重な体験だ。

本書では、ミネルバ大学のように、学年の学期毎にサンフランシスコ、ソウル、ハイデラバード(インド)、ベルリン、ブエノスアイレスと、世界の都市にある学寮を渡り歩きながら地域のプロジェクトに参加し、大学本部の教授陣と完全オンラインで学んでいくスタイルが紹介されている。

ミネルバ大学の方式は、学寮という実際に学生同士が一緒に過ごす空間があるから成立するのだろう。オンライン授業だけでは、キャンパスにおける身体感覚を味わう事はできないのである。

「自由な時間」を取り戻せ

本書では「自由な時間」が学び舎研究にとって希少な資源であることが幾度も強調される。疲労困憊した大学関係者にとって、自由な時間を使った知的な学びは、もはや存在しない贅沢なユートピアとなってしまった感さえある。

・・・大学は、「世間」の風通しの悪さに穴を穿ていく「世間知らず」や「世捨て人」の集まりでなくてはならず、まさにそのような「世間」の常識の外に立ち、それらを横断する外部性こそが、真に学問的な知的創造を生むはずである。

『大学は何処へ』p.
283

「世間知らず」「世捨て人」とはネガティブな意味を想起させるものだが、このような人材抜きに、知的創造は生まれ得ないだろう。今取り戻すべきは、「世間知らず」「世捨て人」が知的創造を育む「自由な時間」を思う存分謳歌し、そのポテンシャルを爆発する社会的構造の構築だろう。その一つが大学の「学び」にあるのはいうまでもない。

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