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「水に浮かぶ」ということ〜ゆらぎ、やわらかさ、そして穏やかさ〜

「穏やかな水に浮かぶ心地よさ」

晴れ渡る青空のもと、穏やかな海の水面にカラダを浮かべていると、自分が今ここにいることを忘れて、気づけば自然と一つになっていく。

浮かぶためには全身の力を少しずつゆるめていく必要がある。

けれど、身体の力をゆるめすぎると沈んでしまう。

「水に浮かんでいる」

そこには「緊張と弛緩の調和」がある。

身体の力をゆるめていく中で、気持ちも静かに、穏やかになっていく。

水のやわらかさを感じる。

やわらかな水の、ソッと包みこむような支えを感じながら、そして穏やかな揺らぎに包まれて。

ホッとする…。

穏やかな水の動きに心を動かされることがある。(中略)穏やかな水の動きが、人体に接して、一方向に流れる様、あるいは反復運動する様は、「撫でる水」を指向する。海辺に遊ぶとき、遠浅の砂浜をすべってくる海水が、人体を優しく愛撫する様は、多くの詩人が描写するところである。G・バシュラールによれば、人が母乳を、「栄養を与えるもの」として、とらえているとき、撫でる水は、愛になるという。彼は、ミシュレを引用して、「岸辺を丸くしながら倦まずに行なわれる愛撫によって、母性的な輪郭を、しかもわたしは言いたいが、子供が優しさと安全さとそして温かさと憩いとをつよく感じる、女性の乳房の目に見える愛情を、(海は)岸辺に与えた」と言う。

鈴木信宏『水空間の演出』

穏やかな波の動きは「揺する水」にもなる。ポイプ・ビーチの穏やかな波は、人を浮かべて優しく「揺する水」であった。G・バシュラールは、想像力の世界における水の揺動について、次のように記述している。火・水・土・空気の「四元素の中で揺することができるのは水しかない。水は揺する元素なのだ。これは母親のように揺する……」「孤舟のそこに寝そべってわれわれが空を視つめている長い時間のあいだ、どのような追憶に向かうのだろうか?イマージュはすべて不在であり、天は空虚だが、運動は、生き生きとして停滞もせずまたリズムを有して、そこにあるが、- これは全く沈黙してほとんど動かない運動なのである。水はわれわれを運ぶ。水はわれわれを揺する。水はわれわれを寝かしつける。水はわれわれに母を返してくれる。

鈴木信宏『水空間の演出』

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