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「一般性」と「相違なる個」〜花々を具に観察することから思うこと〜

「観察するということ」

花々を眺めていると、同じ種類の花でも「どれ一つとして全く同じ花はない」と思うわけです。

花弁の大きさ傾きや並び。

所々で欠けていたり、あるいは花弁同士が重なっていたり。

桜の咲き誇る様、散りゆく様にそれぞれ異なる美しさがある中で、総体としての美しさ、そして花一つひとつの美しさもある。

共通項と共通項以外を区別し、共通項を軸として分類していくことは、物事を束ねる力がある一方、「共通項以外に内在する個性」を捨象することでもある。

最初から「一般的にこういうもの」だと最初から決めつけるのではなく、具に観察してゆく中で「らしさ」を見出していくことの大切さを忘れないようにしたいものです。

「一般性」は真空状態から生じるのではなく、「相異なる個」から始まるという原点に立ち返るということ。

まず従来の既知方則の普遍なる事を仮定せば、すべての主要条件が与えられるれば結果は定まると考えらる。しかしながら実際の自然現象を予報せんとする場合に、この現象を定むべき主要条件を遺漏なく分析する事は必しも容易ならず。ゆえに各種原因の重要の度を比較して、影響の些少なるものを度外視し、いわゆる「近似」を求むるを常とす。しかしてこれら原因の取捨の程度に応じて種々の程度の近似を得るものと考う。この方法は物理的科学者が日常使用するところにして、学者にとりてはおそらく自明的の方法なるも、世人一般に対しては必しもしからず。学者と素人との意思の疎通せざる第一の素因はすでにここに胚胎す。

寺田寅彦『万華鏡』

学者は科学を成立さする必要上、自然界にある秩序方則の存在を予想す。したがってある現象を定むる因子中より第一にいわゆる偶発的突発的なるものを分離して考うれども、世人はこの区別に慣れず。一例を挙ぐれば、学者は掌中の球を机上に落す時これが垂直に落下すべしと予言す。しかるに偶然窓より強き風が吹き込みて球が横に外れたりとせよ。俗人の眼より見ればこの予言は外れたりと云うほかなかるべし。しかし学者は初め不言裡に「かくのごとき風なき時は」と云う前提をなしいたるなり。この前提が実用上無謀ならざる事は数回同じ実験を繰り返すときは自から明なるべきも、とにかくここに予言者と被予言者との期待に一種の齟齬あるを認め得べし。

寺田寅彦『万華鏡』


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