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日蓮上人

創価学会へのバッシングは周知のことながら、内村鑑三にまれ手嶋郁夫にまれ、日蓮を評価する宗教人はいる。

日蓮の功績は、末法の世にあって、法華経の意義を訴えた点にある。「末法の世にあって」というのは、民衆が難しい経典を理解することなく、ただ「南無妙法蓮華経」の一句を唱えればよいという、宗教的実践の簡略化による。

日蓮の現れた時代に、浄土教は浄土三部経に拠り彼岸の幸福を説き、禅宗は個人の禅行を推奨するばかりで、国家論を説くものはなかった。どのようなルートによるものか詳らかでないが、日蓮がモンゴルの拡大を知っていたのは確実である。国家存亡の危機であることを日蓮は知っていたのである。勿論、当時の日本の文明性が脆弱であることも知っていた。何故なら法華経に依らないからである。

日蓮

聖徳太子の『法華義疏』に始まり、法華経は日本の《文明》の根幹であった。「法華経は嘘の教えである」と仰有る方があった。さよう、《文明》の根底に《嘘》があるといって過言ではなかろう。オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』によれば、《文明》は人工物である。《自然》が真実であるならば、人工は《嘘》であろう。

Yahooのマーケティング担当副社長を務めたセス・ゴーディンの著書『マーケティングは「嘘」を語れ!』のプロローグ「なぜ『嘘』を語るのか」には、次のようにある。

人は何かに気づく。毎朝太陽が昇ることに気づき、アポローンとその馬車についての物語を生み出す。病期になると、体液と瀉血についての物語をこしらえ、快復を祈って病人を床屋に送り込む[昔、床屋は外科医を兼ねていた]。

セス、ゴーディン『マーケティングは「嘘」を語れ!』(沢崎冬日訳、ダイヤモンド社、2006年)

ハイデッガーが、芸術をわかっていたとは到底思えないけれども、彼が『芸術作品の根源について』で、芸術=詩とは、真理の不伏蔵性であるという時、芸術のなんたるかの一端には触れていたと言える。芸術は人工であり《嘘》であるが、同時に真実を垣間見させるものでもあるのである。

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