丸山眞 Makoto Maruyama

詩人、批評家、パフォーマンス・アーティストです。 ポエトリーリーディングhttps:/…

丸山眞 Makoto Maruyama

詩人、批評家、パフォーマンス・アーティストです。 ポエトリーリーディングhttps://www.youtube.com/user/ewjhgfh

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■なにをするサークルか 自分の批評、自分の考え、疑問等を持ち合いましょう。 ■活動方針や頻度 投稿の頻度はその人のペースで構いません。ゆくゆくは共同で批評のマガジンなどを立ち上げていけたらと考えています。 ■どんな人に来てほしいか 美術批評、音楽批評、文芸批評、哲学なども歓迎です。政治や社会の状況に関する批評もOKですが、過度に政治的に対立するようなことは避けましょう。ヘイトはNGです。 ■どのように参加してほしいか ポジティブな活動を心がけていただきたいと願います。見ているだけでも大丈夫です。

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マガジン

  • 丸山真の不思議な旅

    2020年という激動の年から書き始めた詩を集めてあります。英訳が付いているものもあり、YouTube動画で朗読もやっています。Restarted to write the poetry from 2020, dome poems have English translation, reading the poetry on YouTube (Sorry about they are by only Japanese).

  • 今日のアート通信

    芸術の世界は激変しています。海外の情報を中心に、日本ではあまり知られていない作家を、ご紹介いたします。。

  • 徒然なるままに

    普段、考えて、文章にできるものを書いていきます。特に統一的なテーマはありません。

  • 量子重ね合わせの現代詩

    作風も変化して来ましたので、新しく詩のマガジンを立ち上げます。原則的に無料にしていますので、お気軽にご覧下さい。感想などをコメント欄に書いていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

  • 批評とエッセイ

    主に芸術、哲学、人文学関係の読み物を書いています。

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【アーティスト経歴】

アーティストとしての略歴を記しておきます。 « « « « « « « « « « « « « « « «  1975年福岡生まれ。長野県長野市で育つ。1995年、長野県立長野高等学校卒業。高校在学時から詩を書き始め、友人たちと小部数のコピー誌を創刊、1998年頃まで続く。高校在学中に、友人の挿絵の入った、手作りの詩集も作成しています。2000年、愛知大学文学部文学フランス文学専修卒業。1999年に南仏アヴィニョンを二週間の語学短期留学のため訪れた。大学卒業後の一年間、大

    • 社会的価値と本質的価値

      社会的価値と本質的価値の創造には齟齬があるが、全く無関係でもないディレンマ。 開かれない本は存在しないも同義だが、誰も読めない本に本質が書かれていることもありうる。この問題をよく描いているのがボルヘス的ポストモダン文学や50-60年代のフランス批評であろう。 ピカソは職業画家であって絵を売らなけば食べていけなかった。彦坂尚嘉先生の動画を見ると、作品としての最高傑作は『アヴィニョンの娘たち』で、柳亮などわかる人にはわかるが、社会的には全く評価されなかった。売るために描いた『

      • 文字創発の謎

        (以前に書いたものの改稿です) 文明の成立をいつとするか、人によるが、私は文字の創発を重要な起点と考える。ホモ・サピエンス・サピエンスの所謂認知革命が七万年前、現存する最古の文字体系の成立が五〜六千年前とされるので、随分と遅い。今日の我々が見て《文字》と言えるものの以前に、人類が多くの記号体系を使用していたことが確認されている。文字体系の創発に繋がるものが《原-文字 proto-writing》と言われる。驚くなかれ、《原-文字》は言語情報を欠いたものであったろうというので

        • ブエノス・アイレスを歩きたい

          マテ茶を飲む 本場とは似ても似つかない 日本のスーパーマーケットで買った ティーバッグ Tバックじゃないぞ ああブエノス・アイレスを歩きたい 南米のパリ 戒厳令下の 移動祝祭日 ブエノス・アイレスにいたのは3日間 パフォーマンスをして 日本センターでトークをして 選挙のポスターが貼られた街路を歩き アサードを食べ ワインを飲み マテ茶を回し飲んだ チェ、チェ、チェ アルゼンチン出身の革命家が よく舌打ちした音 ああブエノス・アイレスを歩きたい もう20年近く前の思い出 きっと

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        【アーティスト経歴】

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        • 丸山真の不思議な旅
          14本
          ¥200
        • 今日のアート通信
          14本
          ¥300
        • 徒然なるままに
          25本
        • 量子重ね合わせの現代詩
          8本
        • 批評とエッセイ
          23本
          ¥200
        • 丸山真の旧作詩
          7本

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        記事

          ハイデッガーと芸術

          先の記事で、ハイデッガーは、芸術をわかっていないのではあるまいかという疑いを、提示したが、この文章で、その疑いを掘り下げておこう。 『芸術作品の根源』というハイデッガーの本を読むと、芸術に深い疑いを抱いているようだ。 然り。しかし、芸術はものではない。 木彫家のなかには、一本の木の中に木彫を見る者がいるであろう。いっぼう、一個の石から切りだされた建築作品とはなんであろうか? 色彩をいくら寄せあつめても、絵画にはならぬ。ハイデッガーは、ノートルダム大聖堂やモナリザを知らな

          ハイデッガーと芸術

          ジャーナリズムの起源

          大航海時代の商人たちが、コーヒーハウスで交わした情報交換から、英国の最初の新聞(newspaper)が刊行された。 起源を辿ると、ジャーナリズムとは《うわさ》であって、《真実》を語るものではないのである。 英国で最初の小説(novel)を書いたダニエル・デフォーは、ジャーナリストでもあった。 参考図書として次の2冊を挙げる。いま手に入るジャーナリズムの起源に遡る現象学の参考図書として、最高峰と言える。 AIアートの切断芸術(「切断芸術」は彦坂尚嘉の提唱による)。

          ジャーナリズムの起源

          日蓮上人

          創価学会へのバッシングは周知のことながら、内村鑑三にまれ手嶋郁夫にまれ、日蓮を評価する宗教人はいる。 日蓮の功績は、末法の世にあって、法華経の意義を訴えた点にある。「末法の世にあって」というのは、民衆が難しい経典を理解することなく、ただ「南無妙法蓮華経」の一句を唱えればよいという、宗教的実践の簡略化による。 日蓮の現れた時代に、浄土教は浄土三部経に拠り彼岸の幸福を説き、禅宗は個人の禅行を推奨するばかりで、国家論を説くものはなかった。どのようなルートによるものか詳らかでない

          芸術の中の芸術

          アリストテレスの『詩学』が、岩波文庫版と光文社古典新訳文庫版の2種類の翻訳を読んでも、なかなか理解できなかったのだけれども、ウィトルウィウスの建築書と比較することによって、ようやく腑に落ちた。 アリストテレスの『詩学』は、総合芸術としての詩、すなわち劇の形をとった詩についての本なのである。ソフォクレスやアイスキュロス、エウリピデスのギリシャ悲劇、そしてシェイクスピアの劇は詩である。 建築同様、詩は近代になって、総合芸術ではなくなった。もう一度、総合芸術としての詩を目論んだ

          芸術の中の芸術

          ブランクーシ「無限の柱」

          ルーマニアの彫刻家として知られるコンスタンティン・ブランクーシの「無限の柱」を《建築》と呼ぶかと言えば、否である。 あくまでも《彫刻》としての建築である。古代ローマの建築家ウィトルウィウスの建築者が示すように、ヨーロッパにおいて古来、建築は総合芸術であった。 ハーバート・リードの『彫刻とは何か』(宇佐美英治訳、日貿出版社、1980年)を読むと、彫刻は元来、建築の内にあったものである。建築から分離したのである。 《彫刻》としての建築、言い換えるとデザインとしての建築は、総

          ブランクーシ「無限の柱」

          薄明に

          詩とは薄明の言葉である。夜明けや黄昏時に発せられる言葉なのである。紫外線や赤外線に喩えると、わかりやすい。言葉と、そうでないものとの間にある、言葉なのである。 それでも、我々の使う言葉を以って言い表そうとする態度が、重要である。あくまでも、詩人は凡人である。詩は、天才のなすべき事ではないし、爆発も、決してしない。 古来、薄明に妖精が住まうと言う。W.B.イエイツに『ケルトの薄明』という著書がある。詩は妖精の言葉なのである。

          Webライターとして生計を立てる困難

          かつては新聞に文化欄があり、美術批評を書く場所があった。聞いた話だけれども、日本の敗戦後の美術批評は、瀧口修造さんがプロデュースした。所謂「御三家」と言われる針生一郎、中原佑介、東野芳明等を読売などの各新聞社に配置したのである。 今日、紙媒体で「美術批評」などおよそどこにも存在しない。『美術手帖』が唯一であるが、どれほどの人が買っているかわからないし、紙媒体で新規のライターが生計を立てるなど、まあ不可能であろう。 Web上で生計を立てる方法を模索するしかないのである。

          Webライターとして生計を立てる困難

          ジャック・デリダ批判、異-論理(パラ-ロジック)と「説得」する技術

          いきなりの種明かしをすると、私の論法はデコンストラクション(英: deconstruction 仏: déconstruction)の応用をやっているのです。だから打ち負かすことが難しい。 デコンストラクションは日本語では「脱構築」とも訳されています。フランスの哲学者ジャック・デリダの理論が元ですが、確か、私の記憶では、「デコンストラクション」を有名にしたのは、デリダでなく、その影響を受けた英米の批評家、理論家たちであったはずです。今英語のWikipediaなどを調べると、

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          ジャック・デリダ批判、異-論理(パラ-ロジック)と「説得」する技術

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          薄明の足跡を数える(詩)

          今のマニラはわからない。新しいウィルスだか生物兵器だかが世界中に撒き散らされ、行くことが叶わないからだ。昔歩いたマニラは、日本人が期待するような、ギンギラギンの不夜城ではなかった、と思う。 薄暗い路を、私たちは歩く。薄明というのは、日本語で黄昏とも言い、「誰そ-彼」なのであるが、つまり少し先にある顔も誰かわからないと言う昏さだ。この薄明の路は、今日の何が起きているのかわからない、情報戦と、魑魅魍魎が跋扈する混沌たる世界を思わせる。五里霧中でないあたりが厄介なのだ。案内人など

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          今日のアート通信13 現代アーティスト: 須藤光

          今日の日本で評価するアーティストは、彦坂尚嘉先生と須藤光さんです。お二人とも深い哲学があり、シリアスな芸術家です。 須藤さんはアンドレ・マッソンがお好きとのことで、その影響はあると思われます。アンドレ・マッソンはアンドレ・ブルトンが激賞したアーティストです。私はブルトンに大きな影響を受けています。『シュルレアリスムと絵画』(1928年初刊)にはマッソンについてあまり触れられていないのが謎で、その謎を解明しようとする論文を、日本の学者が書いています。インターネットで、pdfで

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          ポスト・ポスト=モダン

          「ポスト・ポスト=モダン」という言い方を、私はかなりでっちあげで、感覚的に使っていました。実はどうやら私の造語ではなかったようなのです(笑)他にも用例があるのですね。今日を「なんでもあり」のポスト=モダンだと考える人は多いのですが、私は違和感を覚えます。

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          AIアートを使った視覚詩

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