![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148806978/rectangle_large_type_2_2c38d123412e2b5aae966b43baac629d.png?width=1200)
ディストピアのような本当の話〜映画『あしたの少女』
韓国映画『あしたの少女』をやっと観ることが出来た。
大体のおらすじは色んなレビューでもれ聞いていたが、ここまで酷く切ない話だとは思わなかった。
どんなに酷い仕事であっても生活のためにと組織やシステムにがんじがらめになっているうちに、その酷さにも気づかないのか見ないふりをしているのか、麻痺してしまっている大人たち。
搾取され、犠牲者となるのは前途あるはずの若者たち。
その若者たちもやはり生きていくために、尊厳を傷つけられながらも心を殺してやり過ごそうとしている。
そして、一握りの正気を保っている者たちは、もはや誰が悪なのかも分からない巨大システムを相手に絶望し、やがて自死を選ぶしかないという。
現代社会を舞台にディストピアのようなシステムが描かれているが、これはつい最近まで実際に隣国の韓国であった話だというから驚くしかない。
最近の韓国は一時期の日本よりも学歴が重視され、受験戦争や点数主義のその凄まじさは折に触れて聞こえてきていた。
そして、実話を元にその行き過ぎた社会システムに真っ向から描いたのがこの映画だ。
プロデューサーは名匠イ・チャンドン。
社会の格差の中で上手く生きられない弱者達を描いてきた監督が今作では自信でメガホンを取らずチョン・ジュリが監督を務める。
137分の映画は2部構成となっている。
ちょうど半分くらいの前半は女子高校生ソンヒの視点で語られる。
彼女が現場実習生として派遣されたコールセンターでは顧客からのクレーム対応と解約希望をあの手この手で阻止しようとスタッフに強いており、それが各センターの評価となりここでも厳しい競争が強いられている。
そして、このセンターで働くスタッフのほとんどは高校から派遣されてくる現場実習生たちであり、低賃金でまるで「嫌なら辞めろ」と駒のように扱われる。
そうした中で、ブラック企業その顧客からの手続きをでブラック企業に派遣された挙句、最後は絶望し自死を選んでしまう。
後半は地方の警察署に飛ばされてきたらしき訳ありらしき女刑事オ・ユジンの視点で事件を振り返っていく。
女刑事オ・ユジンを演じるペ・ドゥナは最初は単なる自殺として手続き通りに簡単に片付けようしていたが、違和感を感じ何が女生徒を自殺にまで追い込んだのか真相を追っていくことになる。
そこで丁寧に描かれるクソのような社会システムがもはやディストピア。
商業高校では卒業までに学生たちを地元企業に現場実習生として送り込むことが義務付けられており、教師達も政府から補助金をもらうために学校の評価点を上げることだけが目的となっていき、生徒のことは微塵も気にしなくなっている。
女生徒が派遣されるコールセンターのセンター長も全国のセンターで解約率を指標として競わされており、スタッフのこと、顧客のことなども気にはしていられなくなっている。
現場実習生として派遣される学生たちもその待遇の酷さにうんざりしながら、家族や学校など色んなプレッシャーの前に物言わぬ労働者として自身の声は封じられていく。
そして、彼ら彼女らはそのシステムの一員として理不尽なことを目にしたり体験したりしても、人間的なことを捨て去ることで何とか日々をやり過ごす。
恐ろしい社会だ。
この悲劇の真の首謀者はシステムそのものなので、当事者たる組織の末端管理者を裁いても何の解決にもならないところが本当に絶望する。
オ・ユジン刑事が学校のさらに上位で実習制度の派遣先を管理する教育庁を捜査するシーンがある。
彼女は教育庁の現場責任者に派遣先企業を調べることが出来たはずだと問うが、自分たちもどうしようもないと返される。
次はどうするんだ?さらに中央の役所へ行くのか?と。
力のあるものが力のないものを搾取するようなシステムは駄目だ
若者がいいように使い捨てされるシステムは駄目だ
何よりも、そんなことで若者が大人より先に死んじゃ駄目だ
どの組織もこの事件の責任を問う告発に至るまでの決定的な証拠がないまま映画は最後のシーンを迎えるが、そこでソンヒのスマホが大規模捜索の結果発見される。
スマホの中身は全てソンヒ自身により消去されていたが、復旧することが出来るという。
さて、せめてコールセンターを運営する会社だけは摘発することが出来たのか。
そこまでは映画では描かれない。
<了>