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ぼくの好きな先生♫ のことがほとんど思い出せない

RCサクセションの1972年の名曲『ぼくの好きな先生』
たまに無性に聴きたくなる。

ところで、僕の好きな先生っているんだろうか?
大学生になった頃はもう成人していたので除外するとして、しばらく考えてみたんだけど。。。
高校時代までを思い返してみても顔と名前を思い出せる先生が片手もいないことに驚いた。

当時から転校ばかりしていたからか、同級生の名前も覚えているのはほんの一握り。
学校にはあんまり馴染めなくて、担任の教師にも突っかかってばかりいるような、学校嫌いの厄介な生徒だったのだろう。

小4の時の担任の吉川先生。
いつも緑のジャージ上下を着ている(訳もないんだろうが、その印象が強い)若い女性の先生。
吉川先生のことは以前にもnoteに書いたかもしれないが、この小学校には1年間しか登校しなかった。
しかも、当時両親は(もちろん後になって知ったことだけど)別居していて離婚の危機を迎えていたようで、一人っ子の僕は祖父母の家に預けられていた。
今、考えてもこの時が一番グレていて素行も悪かったように思う。
本屋で万引きして捕まったり、祖母の財布からお金を盗んでプラモデル屋で爆買いしたのがすぐにバレてシバかれたり(そりゃそうだ)、2日に1回行く銭湯も行ったふりして淀川の土手で時間つぶしてたり。(これもタオルが濡れていないことに気付かれてひと月も経たないで見つかった)

そんな風になっていた家庭の事情を担任の先生なので知っていたのか、4年の3学期が終わる時に母と転校の挨拶に行った時に、良かったねと泣いてくれたことを今でも覚えている。
吉川先生のことだけはとても覚えている。
唯一、会いたい先生かもしれない。

豊田先生。
中3の時の担任の先生。
柔道をやっていたせいか背が高くごつい体格で声の大きな先生だった。
一度授業中に僕の席までやってきて無言でビンタされたことがあった。
多分、何度か注意されても調子に乗って私語をしていたんだろう。
その時はめちゃくちゃ痛かったけど、何故か腹を立てることもなく、その後も豊田先生のことは嫌いにはならなかった。
ちゃんと叱ってくれたこと、後を引きづらなかったことがなんだか心地よかったのかもしれない。
豊田先生のことも、少し天パ気味の短く刈った髪に、スエードのジャケットを着ている顔や姿までしっかり覚えている。

黒川先生。
高3の担任の先生。
授業の受け持ちはなんだったろう、文系科目だったような気がするが。
ガリガリに痩せこけた先生で、ガイコツガイコツ、と影で言っていたけれど、授業中も騒がしい男子生徒を叱ることもなく、声を荒げることもない物静かな先生だった。
いつも教科書の一節を読んだあと、窓から外を眺めてしばらくの間フリーズしたかのように一人物思いにふける不思議な間合いの先生だった。
大人になった今なら色んな話を出来たかもしれないなぁと思うが、当時は生意気盛りなので、変なやつ、と思っていたようだ。
だけど、そんなほとんどどんな人だったのか全く分からない黒川先生のことだけを覚えているのがとても不思議だ。

名前を覚えている先生はその3人だけ。
小・中・高から担任の先生が1人づつ。

あ、もう1人いた!
高校の体育教師で生徒指導もやっていた板倉先生。
ラグビー部の顧問もしているいかにもラグビーやってそうなミニタンクのような先生。
どちらかというと避けて通りたい先生だが、板倉先生が言った言葉で忘れられないのが1つだけある。
「いいか、ボールを前に落としたらノッコン」

体育の授業でラグビーをやった時の板倉先生のセリフだけど、どうしてこのセリフだけ忘れられないのかさっぱり分からない。
だけど、ラグビーワールドカップで日本チームが快勝している頃、ノッコンというルールだけ家族で1人だけ知っていたのは、板倉先生のおかげだ。

あとは、名前は思い出せないが印象に残っている先生が何人かいる。

小1か小2の時の若い女性の担任の先生。
先生が子供向けの本を読み聞かせしてくれる授業かホームルームの時間に読んでくれたのが「くまのパディントン」。
その後、本好きになったのはきっとこの時のパディントンのお茶目な姿を想像して笑い転げた記憶があったことは間違いない。
小5になって、転校先でなかなか友人が出来ずに放課後近所の図書館へ通うようになった時に最初に借りて読んだのが「くまのパディントン」
あの時のことを思い出して、自分でも是非読んでみようと思ったからだ。

中学時代の男性の音楽の先生。
音楽鑑賞の時間に、
「皆さんはロックって聞きますか?ロックの中にもクラシックの影響を受けている素晴らしい楽曲が沢山あるんですよ」
と言ってクイーンのボヘミアンラプソディのレコードを掛けてくれた。
もちろん、ロック好きでギターも弾いていた僕は途端にこの先生を身近に感じた。
クラシックギターを弾く時間があって、はじめてギターを触る生徒が多いなか、難なく弾いている僕をみて、先生が指揮をすることになっていた3年生を送る会の器楽隊に
「コントラバスは弾いたことないでしょ? やってくれる?」
と誘ってくれたこと。
宇宙戦艦ヤマトのテーマともう1曲は何だったか忘れてしまったけど、
本番までの3ヶ月くらいは、指に水ぶくれが出来て潰れたりして痛かったけど、とても面白かった。
その後、高校に入ってギターを弾いていたバンドとは別に、かぐや姫や風なんかのフォークソングを演奏するトリオに参加することになった。
誰かベース弾いてくれへんかな?
とメンバーを探していた同級生に「多分出来ると思うで」と参加したのも、この時の経験があったから。
(そういえば、ギター2本にベースという編成もかぐや姫コピーだな)

最後の1人は高2の時の国語の先生。
と、ここまで書いて名前を思い出した。
小松先生だ。
演劇部の顧問もしていた角刈りの先生だけど、国語の授業で朗読が上手だった僕を文化祭の演劇部の出し物「杜子春」に役者が少ないからリクルートしてくれた。
あの時、お芝居の面白さを体感したことが、翌年3年生の時の文化祭でクラスの出し物として「梅干し食べたらスッパマン」が決め台詞の主人公の人形劇を企画・演出することにつながった。
その人形劇はとても好評で、何度かあった公演は毎回満席で、当時ビデオがあったら自分も観客で観てみたかったなぁ、と思った。

それにしても、小・中・高と12年間。何十人という先生に授業を習ってきたのだろうが、たったこれだけの先生しか記憶がないなんて。
誰しも、先生の思い出なんてそんなものなんだろうか。
それとも、僕があまりに薄情なのか。

たばこを吸いながら  劣等生のこのぼくに
ステキな話をしてくれた  ちっとも先生らしくない
ぼくの好きな先生、ぼくの好きなおじさん

作詞:忌野清志郎

<了>

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