断想:流れる景色を見ていたいの。ねぇ。
うすっぺらいコミュニケーションが苦手で。
濃厚なコミュニケーション(意味深)が好きかと言われたらそれはそれでもっと苦手なんですけどね。毎日同じ人と遊んだりとか、朝から晩まで同じ人と一緒にいるとか、そういうのはもう学生時代でこりごり。別に何かトラウマがあるわけじゃないけど、ひとりっこだからなのか、つるむのはダメなの。ひとりの時間が好きなの。
恋バナとか昔から好きじゃないし、”深刻な”悩み事をアカの他人にペラペラしゃべったりするのもどうにもなぁと思って。
そもそも生まれてからしぬまでのあいだに、家族以外と(仕事抜きで)重要な会話なんて数えるほどしかないでしょ?飲んだあとカラオケに行くのかラーメンで締めるのか、それくらいじゃない?
それでうすっぺらいほうに戻りますが。
陽キャじゃないけど、パーティとか飲み会とかわーわーしたところは好きなんですよ。そうなるとまぁできるだけ人と関わりたいけど、冒頭のうすっぺらい話題とやらに支配されがちですよね。
あーあと美容室とかタクシーとかの会話も好きじゃない。暑いですね寒いですね花粉ですねとかいらないのよ。洗髪のあいだに作文練りたいし、後部座席で流れる景色を見ていたいの。ねぇ。
飲み会なんてのは楽しければ楽しいほどいいと思っていますので、深刻な話なんてもってのほかで、うすっぺらい話をいかに厚みをもたせておもしろくするかっていうのが大事なところなんだと思いますよ。
それ相応の話術っていうのが必要になってきますが。
その話術ていうのをずっとずーーっとしぬまで研究しないといけないんだな。散文まいにち書いてるのもいいけど、やっぱりずっとやりたいと思っている「一般人の日常におけるコメディ」をもっと掘り下げる必要があるわね。
きょうはその宣言の第1幕ということで。支離滅裂な文章ですが、断想とはそういうものだと、18世紀の『百科全書』でおなじみディドロもゆっているのでいいでしょう。
読み返さないよ。
Salut!