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どうしても嫌いな人対策・その2(回復編)


前回、どうしても付き合わなければならない嫌いな人に対して、『明日のジョー』の両手ぶらり戦法をお伝えした(ちょっと違うか)。

私なりの「繰り出されるネガティブパンチの避け方」だったのだが、たとえ上手にかわしたとしても、どっこいそうは問屋が卸さないのが人間の弱さというもの。

レフリーやジャッジたちに対しては「は? あんなパンチ、効いてないっスよ。ダメージ? ぜんぜん」なんて顔をしていたのだが、実のところ体力はそうとう奪われていまして。あるいはレバーにブローを食らったかのようにガードがストーンと下がってしまっているのに今さらながら気がつく。
よろよろとコーナーの椅子になだれ込むと、肩にかけられたタオルは自らの汗を吸ってどっしりと重く、より一層の疲労感。

試合が終わってから痛感するものだが、かわしたつもりでもかわしきれなかったパンチが多数あった。敵もなかなかやりよる。そう、ダメージを食らって立ち直れない自分がいるのだ。
不覚……。コーナーの椅子に座り込んだまま、いつまでも辛く重いタオルを地面に払い落とせないでいる。

その証拠として、その人のことなんて考えたくもないのにつらつらと先ほどの放たれた発言や態度を反芻しながら、その日一日を過ごしてしまう。払い落とすどころか、タオルを握りしめて噛みしめて地団駄踏んでいる有り様。
「なんであんなことを言ったんだろう」「なぜそう思ったんだろう」「どういう心理であんなことを」「なぜ周りの人の気持ちを考えないのだろう」「なぜ……」「なぜ……」 
牛が四つの胃で消化しているように、一度胃で消化したものを出しては別の胃に入れ、また取り出しては別の胃に入れてこね回す。あるいは、例えるならば古伊万里のツボ。箱から取り出しては眺め、仕舞っては取り出し、また眺め、いろいろな角度から鑑賞する……。
「ええい、やめんか!」と自分でも思う。「後生大事に眺めとらんで、そんなツボは壁に打ち付けて粉々にしておしまいなさい!」と。

無駄、無駄。嫌いな人のことで一日の大部分が占領されるのなんて、ホント無駄。なのに、これはもう避けるどころか、思いっきり執着してしまっている自分がいるのだ。
考えすぎて、たいしたことのないその人の欠点が、むくむくとマシュマロマンのように膨らんでいく。こんな被害妄想、相手にも大迷惑。その執着と妄想の拡大ぶりは、思わず「恋か!」と突っ込みたくなるほど。確かにベクトルが真逆なだけで、恋わずらいと見まごうばかり。
そして恋だったらハッピーだけど、嫌いな人のことをトコトン考えている私は、明らかに自分をアンハッピーにしている。相手は今ごろ鼻歌でも歌って、録画した『アメトーク』でも観て涙流して笑っているのかもしれないのに。

どんなに想い巡らせたって相手の真の考えに到着する日などない。だって他人なのだから。
たくさんその人のことを考えることで、ある一つの結論に達するかもしれない。でも、達したところでその人の人格が変わるわけでもないし、一瞬結論を導いたのでスッキリしたような錯覚はするけれども、その結論だって自分の脳内で勝手に作り出した決めつけだ。正解はない。改善もない。
だから言っている。無駄なのだ。


いや、改善はある。相手ではなく、私自身にだ。
さんざん嫌いな人のことを反芻しきって人生を無駄に過ごした私が、自分をアンハッピーにしないためにようやく辿り着いた解決策はこの二つ。


⑴ 別れたあと、「深い深呼吸とともにその人のことを吐き出す」。要はルーティンを作るわけで、この動作とともに忘れるスイッチを入れる。

これは『ホンマでっかTV』で池田清彦先生が言っていたのだが、「自分が気にすることと気にしないことを分けて、自分で決めたアクションによって頭を切り替えるといい」とのこと。という訳で、池田先生が例に挙げた「耳を引っ張る」や「足を踏み鳴らす」をやってみた。

しかし、なかなかそれって人前でやりづらい。しかも実際にやってみても私の場合はどうもそれでもスンナリいかなかったので、今度は王貞治選手方式にした。王方式とは「嫌な気持ちを吹き消すつもりで息をフッと吐く」こと。
オゥ! さすが世界の王! 王様! これがなかなかいいのだ。フーッっと強く吐くことで自分の穢れも外に出る気分。気持ちが軽くなるまで何度でもやっていい。数時間後にまたその人のことを考えそうになったら、また深い呼吸で吐き出す。


 さて。シツコイ私は、それでも時間が経つとまた嫌いな人について思い返してしまう。なので、矢継ぎ早に第二弾は「可能な限り急いで好きなことをする」だ。

無駄にその人のことを考えるということは、要するに自分は暇なのだ。やりたいことがいっぱいで忙しければ、そんな人のことを考えている暇はない。その人のことを考えてしまうのなら、物理作戦に出て考える時間を作らないようにするのだ。
黙々と家事や事務作業などをやっていると、その人のことを考えて手が止まる。それはたいしてその作業が好きではないからなのだ。熱中できない作業は今、やるべきではない。

好きなドラマを観るだとか、好きな本を読むだとか、好きな料理を作るだとか、好きなスポーツをするだとか、その人のいる世界を自分の好きで押しつぶしてしまえばいいのだ。それこそ、おまえが『アメトーク』を観ろ、というわけなのだ。

脳科学者ではないので、これは私なりの実感なのだが。英単語などの暗記と同じ原理な気がする。というのも、まず暗記されたばかりの英単語は短期記憶となる。短期記憶は何度も呼び起こされる(復習する)ことによって、長期記憶となる。長期記憶になった単語はなかなか忘れない。これと同じシステムが私の恨み節にも適応されているのではないか。
嫌な思いを反芻する回路を作らないようにするべきなのだ。脳に癖をつけてはならない。長期記憶にするなんてもってのほか。

恨みがましいネクラ人間になりたくなかったら、『アメトーク』でも『水曜日のダウンタウン』でも素早く観て、思いっきり笑って忘れることなのだ。社内で嫌な目にあったら、速攻トイレに駆け込んで「テトリス」でも「ツムツム」でもするがいい。
要はとにかく急ぐこと。火急に処理する案件だ。


嫌いな人のことで時間を使いそうになったら、ゴーインに好きな時間で塗りつぶすのがよし。もっといいことに使ってハッピーになろう!



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今泉真子 mako imaizumi
ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️