大人部屋の確保は子供部屋より難しい?
先日、夫の書斎(使わなくなった子ども部屋をアレンジして作ったスペース)に風を通しながら、ふと「自分の部屋」について考えました。
自分の部屋って、実はなかなか確保できないものかもしれませんね、大人こそ。
子どもは、思春期や受験期を機に自分の部屋を欲しがり、その後、進学や就職による一人暮らしを機に、自分だけの部屋をゲットします。
でも…
やがて誰かと生活を共にしたり家庭を築いたりしてライフステージがどんどん変化する中、自分一人の部屋を持ち続けることは、案外難しいことかもしれません。
実際私たち夫婦も、長いこと「自分だけの部屋が欲しい」なんて考えるヒマさえなく暮らしていました。
が、転機は訪れるものです。
退職した夫が趣味で音楽をやりたいと言うものですから、「それならば!」と一大決心。思い出の子ども部屋を片付けて、せっせと大掃除。カーテンも取り替えて、「なんちゃって書斎&趣味部屋」が出来上がりました。
夜な夜なピアノに向かう夫の姿を見ると、我ながら達成感!です。
で、自分は?
ここからが本題になるわけです笑
夫には部屋があり自分にはないことを嘆いているわけでは全くありません。
どの家庭もそれぞれ色んなことを抱えているように、我が家にも悩みのタネは数々ありますが、居場所がないというわけではないのです。そう、部屋イコール居場所ではない…。
「私の部屋」って?
ここで思い出すのが、保健室です。
私は昨日一昨日の自己紹介で書いておりますように約30年間、養護教諭として保健室で仕事をしていました。
思えば保健室は、確かに「私の部屋」でした。
毎日毎日、朝から晩まで一日中過ごす部屋。
健診・検査、応急手当て、悩み事相談、その他膨大な事務作業を行う仕事部屋。
ベッド、処置台、事務机、ソファー、視力検査器、身長・体重計が置いてある部屋。
環境としてはこんな感じですが、私は、保健室という「箱」の中にいる養護教諭という「人」がその空間を「作る」ものだと考えていました。
あまり知られてはいないと思いますが、学校という組織の中で、養護教諭はちゃんと経営方針を持って保健室を経営しているのです。
私はいつも「誰にとっても居心地のよい、居場所となる保健室でありたい」と思いながら過ごしていました。誰一人も、取り残すことがないように…と。
今思うと、それって「誰かのため」でなく、もしかすると自分自身も含まれていたのかもしれません。
ひとつの部屋の中で、人と人が心を寄せたり、互いに影響しあったり、大人も子どもも学んだり育ったり。辛い場面もたくさんあったけど、なんとも素敵な部屋でした。
自分自身、保健室が好きすぎて「退職したら地域に飛び出して、街角保健室とか開こうかしら」なんて野望を持ったこともあったなぁ。
退職した今、長く過ごした保健室という居場所を失って、センチメンタルになっているのでしょうか笑
私には家があり、娘たちのお宅へも訪問でき、心地よい居場所に恵まれています。感謝しながら感謝しながら、でも、もうひとつ。このnoteを「そっと大切な私の部屋」にしていきたい…と願っているところです。