知行合一。知って行わずは知らぬが如し。インプットとアウトプットはセットである。その必要性と解説。
お久しぶりの投稿です。今日のテーマは、知行合一、インプットとアウトプットはセットである。実践、検証、行動のススメであり、必要性と解説であります。
皆さん、人それぞれに、様々な勉強、習い事などされておられますが、まずなんの為に学んでおられるのでしょうか。
全ての学びは、人生をよりよく進んでいく為であり、成長する為であり、そして人の役に立てるものであり、そして人の役に立てた時にまた、自らの学びとなるもの、そうして魂は成長していく、意識は広がっていく。とした時に、学んだ先に、そして学びながらも、行動していく実践していくことの大切さがあります。
ただ学び、自分にインプットするだけでは、どの道バランスが取れてはいきません。アウトプットをしてバランスをとることが必要となってきます。
個人で活動していきたいと思いながらも、なかなか行動できない、どこから手をつけるか、何が必要か、こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、そして時間がなかなかないな、体力がない、今日は疲れたから休もう、そうだまず自分を癒さないと、身体の調子も整えないと、何に気をつけたらいいかな、睡眠か、食べ物か、ストレスか、職場やコミュニティでの対人関係でのストレスをどうにかしないと、家庭環境も個人で活動していくには整っていないな、ああ家のことやらないと、ああ子供のことやらないと、、ああ疲れたとても個人で活動していくなんてどこからやればいいのか何をやればいいのか、、
おいおい、、って読んでいてなりませんか。
毎度のその繰り返しで、日々終わっていく。ありがちです。
そして今度はやらないことを、できないこととして正当化して、理由にして
結局、やっていない、やらないのです。
何かを勉強していて、何かを学んでいて、知った気になっていたとしても、実践していなければ、行動していなければ、本当に知ったことにはなりません。それを誰かに話したところで、説得力も、重みもないのです。
そしてインプットしているだけでは、ただの自己満足です。自己満足はいいじゃないかと思われるかもしれませんが、自己満足は本当に満足になるでしょうか。
修行をする者はよく山に入り修行しますよね。そして修練を積み、それは自分にインプットしていることと考えると、ただの自己満足になってしまう。苦行もそうです。自己満足でしかないのです。
それを山を降りて、自分が学びとったあれこれを、人々の人生の役に立つこととして伝えていくとしたらどうでしょうか。アウトプットとなり、たちまちバランスが取れ出します。そして、人の役に立てた時に、道理や理法を感じることができるのではないでしょうか。
ではインプットするだけでは何故ダメなのか。
そもそもインプットはアウトプットのためのインプットであるのです。
何故、人はインプットするのか、それは人には知りたいという欲、知識欲があります。その自己の欲を満たすのがインプットだと言えますが、そもそもの知りたいという欲は、アウトプット無しでは満たされないと言えるのです。王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつに、知行合一(
ちこうごういつ)というものがあります。知って行わずは知らぬが如し、とういうことです。
となると、ただ知識を頭に入れたとしても、本当の意味で知った事にはならない、となると、そもそも欲した知りたいという欲も満たされてはいないのです。わかるでしょうか。それが、いわゆる禅病やクンダリニー症候群といった、実践や、検証をせず、真理と現実との差で精神が病んでしまうといところに陥る原因ともなるのです。
今の時代は、情報に溢れており、手軽に知識を頭に入れることができてしまいます。だからこそ、今一度、インプットとアウトプットはセットであるという認識が必要なのではないでしょうか。
そして、呼吸法を実践し、行法の世界にいる我々は、インプットの環境も、アウトプットの環境もいただいている中にいると言えるのです。
全ては人生に活かすことができる。その強さをあなたも持ちたいとは思いませんか?惹かれる方は是非、私の教室の門を叩いてください。氣塾にもいらしてくださいね。
ではまた書きます。