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【エレン先生の短編小説02】今から牛乳配達員の話をします

「さあ、今日は牛乳配達員の話をするよ」

 エレン先生は、そう言って席についた。

「スーパーの増えた今日ではあまり主流じゃないけど、昔は日本でも僕の国でも、牛乳配達が盛んに行われていたんだよ」

 皆はふふんと聞いていた。

 小学校の図書室内の、特別室。
 鍵は先生しか持っていない。それはエレン先生だけじゃなく、先生、と付く人ならば誰でも。

 給食終わりの長い休み時間。その時間にここを開けるのは、エレン先生だけだ。

 近辺の小学校を日替わりで訪れている英語担当のエレン先生は、ここで色々な話をする。

 一週間前は電池の話だった。
 ゲームの電池の話をしているのかと思ったら、命の話に変わった。

 二週間前はたしか、うさぎの話。
 だけど最後まで聞けば、己の才能に甘んじるな、という深い話だった。

 そして今日は牛乳配達員の話。
 学年性別問わずに彼のファンが、この部屋に集まった。

「大体三日に一度くらいかな、一般家庭に牛乳が配達されるのは。学校みたいに大勢の人が飲むなら毎日届けてくれるだろうけど、それを一軒ごとにやっていたら配達員は大変だからね。毎日は配らないけど、三日に一度は必ず配達する」

 牛乳は好き?と目の前の児童に聞く。頷く彼女に、僕もと言った。

「三日に一度必ずやっていることって、何かある?」

 今度は全体に投げかける。
 ひとりの児童が手を挙げた。

「火曜と金曜、塾に行ってます」
「何を習っているの?」
「英語です」

 だから僕より上手なんだ、とエレン先生は悔しそうに指を鳴らす。

「三日じゃないけど、二日にいっぺん、金魚にエサをあげてるよ」

 一年生の児童が言った。

「どうして毎日あげないの?」
「前にいっぱいあげすぎたら、食べ過ぎで死んじゃったから」
「金魚には胃袋がないから、いつまででも食べられちゃうもんね」

 そうなの!?とそこら中が盛り上がる。

「習慣的に行ってることに対していきなり質問をされたら、答えられるかな?」

 例えば、とエレン先生はひとりの児童と目を合わす。

「渚。五ヶ月前の火曜の英語塾では、何を習った?」
「え」
「単語ひとつでもいいよ、教えてくれる?」

 彼女は斜め上を見上げたあとに、覚えていないです、と言った。
 エレン先生は、だよねと言った。

「翔太。君が半年前に取得した技は何?」

 空手教室に通っていると言った、男子児童とも目を合わせる。

「ええっ。なんだったけな……」
「突き技?それとも蹴り技?」
「どっちかっていうと蹴る方だったかな……」
「本当?」
「いや、打ち技かも」
「どれやねん」

 突如関西弁でツッコミを入れたエレン先生に、皆が笑った。

「牛乳配達員も君たちと同じで、何月何日にどこの家に何本牛乳を届けたかなんか、忘れているだろう。自分の生活に馴染んでいるものって、意外と覚えてないんだよね」

 身にはなっているよ、とエレン先生は付け加えた。

「去年の運動会で勝ったか負けたかは覚えているのに、三日前にしたジャンケンの結果は覚えていない。誕生日にもらったプレゼントは言えるのに、昨日おうちの人に作ってもらった夕ご飯はすぐに答えられない」

 皆が深く頷いていた。僕は覚えてる、カレーだったから、と端の方からひとつ聞こえるだけ。


「じゃあ、ゲームでもしようか」

 いきなりの急展開に、えーっ!と皆がズッコケる。
 エレン先生はそのさまに大爆笑をしつつも、ゲームの題名を口にする。

「擬音語あてゲーム!僕が今から発する擬音は、何の音でしょう!」

 擬音語の意味が分からない下級生はまわりの上級生に聞いてねと言って、場が収まるまで暫し待つ。

「それじゃあいくよ」

 静かになったところで、ゲームは始まった。

「ウォーン ウォーン。これは何?」

 うーんと考え込む児童たち。ひとりが手を挙げる。

「犬」
「犬の鳴き声?」
「そう」

 エレン先生は親指を立ててウインクを送る。

「じゃあ次。バリバリバリバリ」
「はい!」

 今度は複数の児童が手を挙げた。

「奈緒」
「おせんべいを食べる音!」

 エレン先生は微笑んで、また親指を立てた。

「じゃあ次いくよ。ヒューーッ!ドーン!」
「はいはいはい!」

 これは全員一斉に。

「せーのっ。花火!」

「ドーン、ドーン」
「太鼓の音!」

「ザッブーン」
「プールに飛び込む音!それかお風呂!」

「パチパチパチパチ」
「拍手!」

 クイズを出しては次々と即答されたエレン先生。両手を広げて肩を上げた。

「君たち擬音語の天才だね、みんなでどこかの塾にでも行ってるの?」

 そんな塾ないよ、と皆得意げだ。
 簡単すぎるよ、と。

 エレン先生は頭を抱えてアンビリーバボーと言った。
 部屋を埋め尽くす、笑い声。
 そんな児童を幸せそうに見たあとに、二回手を叩く。

「この擬音語を、とあるおじいさんは、全て違った意味で使いました」

 皆がきょとんとした。

「この前僕は、そのおじいさんと話をしていたんだ。戦争の話をしてくれたから、メモをとった。今からそのメモを読むね」

 皆の顔を見渡して、しっかり聞いてね、と言った。胸ポケットから一枚の紙を取り出す。

「ウォーンウォーンという飛行機の音で私は目覚めました。さっきまでの静かな夜が嘘のようでした。慌ただしく外に出た父のあとを追いました。バリバリバリバリと、飛行機の音が余計にうるさく聞こえました。ヒューッドーンッと遠くから音がしました。爆弾の降る音でした。ドーン、ドーンと次々に落ちていき、村を焼いてしまいました。私の家にも火がついたので、家族みんなで逃げました。だけどもう、逃げる場所なんてありませんでした。私はとっさに、池へと飛び込みました。ザッブーンと勢いよく飛び込んで、熱さから身を守りました。時々顔を出して、息を吸ってまた潜る。それを何十回か繰り返しているうちに、爆弾の落ちる音が聞こえなくなったので、池から這いあがりました。パチパチパチパチと火の粉がそこら中で舞っていて、絶望しました。もうそこは、私の知っている村ではありませんでした」

 葬式のように静かになった部屋。紙を閉じる音が響く。
 机に肘をついて、お祈りするように顔の前で手を組んだエレン先生は言った。

「おじいさんの住んでいた村はね、すごく小さいから、教科書には載っていないしテレビで追悼番組だって流れやしない。つまりはおじいさんみたく生き残った人と、僅かな人しかこの出来事を知らないんだ。死者は一千人以上出たっていうのにね。君たちと同じ歳の頃に被害にあったおじいさんは、大きくなってから、その時爆弾を落とした飛行機に乗っていた人とお話をすることになったんだ。もう引退した軍人のネットワークを通じてね。そんなことができる今の時代もすごいと思うけど、僕はおじいさんが一番すごいと思う。だって、おじいさんのお父さんお母さんを殺しちゃった人たちと、お話をするんだから」

 皆黙って聞いていた。エレン先生は児童の顔をゆっくり見渡した。後ろの席の僕ともちゃんと目が合った。

「どうして私の村を襲ったのですか?」

 一瞬、僕に聞かれたのかと思ってぎくりとした。だけどそれは、話の続きだった。

「工場もないし飛行場もない、人もそんなに多くない小さな私の村を、どうして襲ったのですか?おじいさんはそう聞いたんだ」

 少し間を空けたエレン先生は、どうしてだと思う?と一年生の児童に聞いた。

「あの村を襲えって言われたから」
「誰に?」
「えらい人」

 エレン先生は、それもあるかもねと言った。

「君はどうしてだと思う?」

 今度は三年生。

「目的地に行くついでに、とか?」
「ついで?」
「大きな街に爆弾を落とす予定で向かっていて、だけど途中で村が見えたから、ちょっと落として行くかーみたいな」

 心がいたいよ、とエレン先生は胸に手をあてた。

「君の考えも聞かせてよ」

 最後に六年生。エレン先生に見つめられたその児童は、唇を震わせた。

「単純に、全滅させたかったんだと思います」
「全滅……」
「日本人なんて一匹残らず殺したかった。だから小さな村でも大きな街でも、ところ構わずに爆弾を投げたんです」

 エレン先生の瞳が潤む。

「答えはね」

 鼻を啜ったエレン先生は続けた。

「覚えていない、だってさ」

 ええっと皆の目が見開く。

「襲撃したい街はすでに襲撃し終わっていて、大きな目標はなくなったから、あとは地方を時々まわってたんだって。地方に爆弾を落とすのは三日に一度の牛乳配達のような日常的なものだったから、おじいさんのその村をいつどうして襲ったのか、そんなのは覚えていないって」

 久々にも感じた牛乳配達という単語に、皆がくっと息を飲む。

「おじいさんは悲しそうだったよ。おじいさんにとっては一生忘れられない出来事なのに、攻撃してきた相手は忘れちゃってるんだから。そりゃそうだよね、僕だってひどいと思う。だけどね」

 エレン先生は、指でタンッと机をはじく。

「おじいさんはこうも言ったんだ。真実が知れて良かったと」

「覚えてないんだから、真実は知れなかったんじゃないの?」

 児童が聞いた。エレン先生はチチチと首を振る。

「覚えていない、それが真実なんだ。彼らは自分たちを牛乳配達員に例えた。配達員が牛乳を配るように、爆弾を落とすのは当たり前だった、日常的だった。それが真実」

 あーと息が漏れる。

「おじいさんが元軍人さんと話していなかったら、そして僕に教えてくれなかったら、これはここにいる誰もが知らなかった真実なんだ。おじいさんはすごいよ、この対話を実現させるまでにいくつもの図書館や資料館を巡ったっていうんだから。でもだからこそ、子供の頃に抱えた疑問が拭えた」

 麗花。
 名前を呼ばれた児童の背筋が伸びる。

「君はこの前言ってたよね。武田先生が私にだけ厳しいって」
「う、うん」
「その真実は聞けた?」
「聞けてない」
「聞いてみなきゃ。君が美人すぎて照れてるだけかもしれない」

 葬式のようだった空気が、一瞬にして綻んだ。

「優馬。君の言っていた、うどんが粉からできるんだったら逆にうどんを干からびさせて、粉に戻せるっていう話はどうなった?」

 どかんと笑いが起きる。エレン先生も真面目ぶりたそうだけど、少し笑っちゃってる。

「えっと、あれはー……」
「実験してみた?」
「まだ、やってない」
「早く実験して真実を教えてよ、気になって夜も眠れないんだから」
「わ、わかったよ」

 あとは、とエレン先生が次のターゲットを探している。
 皆はひたすら視線をよける。

 エレン先生と目が合って、僕はふるふる首を振る。
 そんな僕に白い歯を見せてから、エレン先生はこう言った。

「僕もヒューッドーンは花火の音に聞こえるよ。僕たちが生まれ落ちた先に火薬の音が素敵に聞こえる世界が待ってくれていたから、日本人の君たちとこんな風に関われる。ああ、幸せだ」

 腕時計に目を落としたエレン先生は言った。

「よし、じゃあ牛乳配達員の話はこれでおしまい。次の授業は渚のクラスだ。塾の先生に負けないように頑張らないと」

 席を立って、扉を開ける。
 振り向きざまに、こう言った。

「ちなみに僕が一番好きな擬音語はケラケラケラ。君たちが、楽しそうに笑う声」


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