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noteを書くには数vs質?あえて"数"を推したい理由

note初心者「量か質か、どっちが大事?」

この問い、議論され尽くした感はあるけど、結論から言うと僕は「量推し」なんだよね。もちろん、質も大事。でもその質って、結局量をこなして初めて手に入るものなんじゃないかって思うんだ。


でも、それだけじゃない。実を言うと「刺さる」とか「響く」なんて言葉の前に、僕自身が書きたいことをまずちゃんと書ききれているか?っていう感覚が、まだ全然自由じゃないって思うことが多くてさ。だからこそ、まずは量をやってみる。その過程で、少しずつ「ほぐれる」ような感じがするんだよね。

1. まず、自由になるまで書く


書いてて思うんだけど、「これ、本当に自分が書きたかったことかな?」って感じることが多いんだよね。何か制限されたような、頭で考えすぎて窮屈になってる感じがする。

「こう書いたら読者に刺さるだろう」とか、
「もっと響く言い方があるんじゃないか」とか、
そんなことを考え始めると、途端に言葉が硬くなる。

でもさ、自由に書けるって、めちゃくちゃ難しいことだよね。特に最初のうちは、どうしても「こう書くべき」「こう見られたい」みたいな気持ちが邪魔をする。でも、それをほぐしていくには、やっぱり量が必要なんだ。何度も書いていくうちに、「これでいいんじゃない?」っていう感覚が少しずつ湧いてくる。

2. 書いてみないと見えてこない景色


「これでいいんじゃない?」って感覚も、頭で考えてても絶対に見えてこないんだよね。手を動かして、書いて、失敗して、また書いて。その繰り返しの中で、「あ、こういう言葉の流れなら自分でも納得できるな」とか、「この辺が自分の書きたかったことなんだな」っていうのが、少しずつ見えてくる。

これってまるで、筋肉をほぐすような感覚に近い。最初はガチガチに固まってて、思うように動けない。でも、繰り返し体を動かしていくと、自然と柔らかくなってくる。それと同じで、書くことも繰り返していく中で、自分の言葉がだんだんと自由になっていくんだと思う。

3. 「量」には、質の種が詰まっている


量を書けば書くほど、「質」の種みたいなものが蓄積されていく感じがある。それは、頭で考えるだけじゃ絶対に得られないものだ。

たとえばタイトルをつけるとき。最初のうちは「響くタイトルってどんなのだろう?」って考えながら、何十も、何百も案を出す。でも、その中で自分なりの感覚がだんだん見えてくるんだ。

「あ、この言葉の組み合わせは自分の中でしっくりくる」とか、
「このタイトルなら、もっと広がりを感じるな」とか。

そういう感覚って、書いてみないと絶対に掴めない。だからこそ、まずは量が必要なんだよね。

4. 少しずつ「ほぐれる」感覚


量をこなす中で、自分の書き方が少しずつ「ほぐれていく」感覚がある。それは、「ああ、こういう言葉でいいんだ」「こういう表現が自分に合ってるんだ」っていう気づきの積み重ねなんだよね。

最初は「こう書かなきゃ」「こう見られたい」っていうプレッシャーがあったりするけど、量を書いていくうちに、そのプレッシャーが少しずつ薄れていく。それが、自由に書けるようになる第一歩なんじゃないかと思うんだ。

5. どっちでもいいけど、僕は量派


正直、量か質かなんてどっちでもいいと思うんだ。大事なのは、自分がどう感じてるか、自分がどう進みたいかってこと。ただ、僕は今のところ量派なんだよね。

だって、量をこなしていく中でしか見えてこない景色があるし、そこで得られる「ちょびっとの感覚」が、質を高める土台になるから。それに、量をやればやるほど、自分の言葉がほぐれてきて、少しずつ自由になれる。

だから、「量か質か」で迷っているなら、とりあえず量をやってみたらどうだろう?その中で、きっと新しい発見があると思うんだよね。そして、その発見を楽しむことこそが、質に繋がる第一歩なんじゃないかな。

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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