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自分の言葉を取り戻したかったから。“書くこと”を通じて見えてきたもの

「自分の文章を書いているはずなのに、何か違う気がする」
そんな違和感を抱えながら、僕は毎日文章を書き続けてきた。

言葉を話すことは得意だった。YouTubeで300本以上の音声を収録し、ココナラで相談業を続けてきている。話しながらアイデアを膨らませ、相手の反応を見て自然に言葉を紡ぐことができる。

なのに、文章になると急に詰まる。

「これでいいのか?」
「もっといい言い回しがあるんじゃないか?」

頭の中にある考えを文章にするだけのはずなのに、言葉がスムーズに出てこない。話すことは尽きないのに、書こうとすると戸惑う。この違いはなんなのか?

「自分のリズム」ってなんだろう?


ココナラで相談を受けていると、人それぞれ「思考の癖」があることに気づく。

・考える順番が決まっている人
・話しながら整理する人
・一度文字にして俯瞰しないとまとまらない人

それぞれのリズムがある。

文章も同じで、型に当てはめようとするほど筆が止まる。「正しく書こう」と思うほど、自分の言葉が出てこなくなる。


小学生の頃の読書感想文を思い出してみてほしい。

「この本は友情の大切さを教えてくれました」
「勇気を持って行動することが大切だと思いました」

こう書けば先生は褒めてくれる。だからそう書く。

でも、本当にそう思っていたか?

「この主人公、あんまり好きになれない」
「この展開、ちょっと無理がないか?」

そう感じていても、それを書く勇気はなかった。

つまり、僕たちは幼い頃から「求められる答えを書くこと」に慣れすぎていた。

そして、そのまま大人しく大人になった。

「自分の言葉」なんて、書いたことあったのか?


振り返ってみると、僕が書いてきた文章はいつも「誰かのため」のものだった。

・先生が喜ぶ読書感想文
・試験で求められる論述
・面接のための志望動機
・ココナラでお客様向けに書く文章

どれも、誰かが「正しい」と思う形に整えた言葉だった。

LINEの返信すらそうだ。相手の気持ちを考えて、無難な言葉を選ぶ。

「AIで自分の言葉が失われる」というけど、ぼくらは最初から「自分の言葉で書けていたのか?」

だって、最初から「自分の言葉」なんて、ほとんど使っていなかったから。

ぼくが人生で唯一、自分の言葉で書いていた時間


それは、小学生の頃に書いていた「自由帳の漫画」だった。

好きなキャラクターを作り、自由にストーリーを描く。誰かに求められたわけでもなく、ただ「こういう話が面白い」と思って書く。

クラスの友達が笑ってくれたり、「次の話まだ?」と聞いてくれると、もっと書きたくなる。

評価のためじゃない、誰かに合わせるためじゃない。純粋に「書きたい」と思って書いていた。

それを、僕はすっかり忘れていた。

「うまく書かなきゃ」を手放す作業の連続


書き続けるうちに、「うまく書かなきゃ」という気持ちが少しずつ薄れていった。

最初は、「ちゃんとした文章」を意識していた。
でも、それを続けていると、だんだんと書くことが億劫になっていく。

それよりも、「自分の言葉で書く」ほうが楽しい。

今も、どれだけが「本当の自分の文章」だったのかはわからない。
でも、少なくとも最初よりは、自分のリズムで書けるようになった気がする。

そして、小学生の頃の自由帳に書いてたのに、近い感覚を、少しだけ取り戻せた。

テンプレの文章は、自分の思考じゃない?


文章には「型」がある。

・PREP法(結論→理由→具体例→結論)
・起承転結
・SEOを意識した構成

これらは、文章をスムーズに伝えるための便利なツールだ。
でも、「型に合わせること」が目的になってしまうと、本来の思考が抜け落ちゃう。

たとえば、試験の小論文。
「こう書けば点が取れる」という構成がある。
でも、その書き方を覚えるほど、自分の本音を文章に込めることは難しくなる。

テンプレに沿って書くと、「それっぽい文章」にはなる。
でも、それが「自分の考えを反映した文章」かと言われると、疑問が残る。

「自分の思考とつながる文章」って?


じゃあ、自分の思考を文章にするにはどうすればいいのか?

それは、「最初からキレイにまとめようとしないこと」だと思う。

・思いついたことをそのまま書く
・途中で脱線しても気にしない
・一度、頭の中にあることを全部出す

そうすると、「本当はこう考えていたのか」と気づく瞬間があった。

そのプロセスを省いてしまうと、「整った文章」は書けても、「自分の文章」にはならない。

「自分の言葉を取り戻す」ために


僕たちは、気づかないうちに大人しく大人になった。つまり、「正しく書くこと」を優先してしまっていた。

でも、それを続けていると、どこかで「書くことがしんどい」と感じる理由になる。

だからこそ、時々は自由帳に書いていたような気持ちで、
「誰のためでもなく、自分のために書く時間」を作ることが大事なんじゃないか。

ココナラ電話相談を1000件近く聞いて、noteを1000記事書いてみて思ったこと。

それは、「自分に響く言葉にウソをつかないことが、一番大切だ」ということだった。


詳しくは、以下の記事で。

でも、、長いよ?笑

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