めんどくさい「ケンカ=討論」をふきかけられた時に、颯爽と勝つ方法(後編)
本好きの女医がおススメする
「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」
遥洋子著
筑摩書房
前編の続きです。
前編をまだお読みでない方は
こちらからお願いいたします。
https://note.com/makimdphd/n/n965d54cd17ac
前編の目次はこちら
1. 出会いは研修医の頃
2. 著者、遥洋子さんが東大に通た理由
3. 上野先生から返ってきた驚きの言葉
4. 物事は多面体だから忘れてもいい
5. フェミニズムとは
では後編スタートです。
6.学問という格闘技
この本の醍醐味は、第2章です。
実際の東大でのゼミのやりとり
学会は言説の格闘技場
この言葉を聞くと
私の頭によみがえる苦い思い出がありますが
その話は長くなるので(笑)
また別の機会に書いてみたいと思います。
7. 不払い労働「アンペイドワーク」へのモヤモヤ
友人にこの本の感想を聞かれ
こうしてnoteに書いているのですが
久しぶりに読み返してみた衝撃がこれ。
不払い労働:アンペイドワーク
もっとも身近な例が
家庭における、女性の家事労働。
主婦の仕事を給与に換算してみた
というニュースもありましたよね。
何かの行為に対価を支払う事
II
給与、収入などのお金。
でも、しかし
この本にもあるように
食事の席で
「上野千鶴子に社会学を語らせる」
という行為もまた「アンペイドワーク」だという。
この言葉が、
私のモヤモヤの理由だと気づいた2020年。
「専門家に専門を語らせる」
という行為は
時として、無謀で無礼な行為なのです。
「上野千鶴子に社会学を語らせる」
「野球選手に食事中、突然、バッティングをさせる」
「演歌歌手と、芸能界についての話をするのではなく、
『コブシ聞かせて、コブシ!』とせがむ行為」
それらと同じように
食事の席で初めて知り合った医者に
自分の症状を訴えて
「どこかいい病院がないか、薬をだしてもらえないか?」と、せがむこともまた
「アンペイドワーク」。
医者が医者だと名乗りたがらない時
それは、一般人としてそこにいるのに
医者としてのスキルを要求されることを
避けるためでもある。
私がなぜ、初めての場所で
医者だと名乗ることに気が引けるのか
今までモヤモヤしていた理由は
この、診察室の外で診察をさせられる行為が
とても嫌なのだと気づいたのです。
こちらの言動には責任が伴うけれど
相手が行動したかどうかはわからない。
ましてや
「お医者さんがこう言ってたわよー」と
自分が知らないことろで
発言だけが独り歩きでもするかと思うと
おそろしくて返答できないこともあるのです。
だからこそ
医者だと名乗るのは、相手を信用している時
だけなのです。
8. ケンカのしかた・十箇条
議論とは言葉の格闘技である。
議論をふきかけられた時、それに勝つために必要な事が、この本の最後に書いてあります。
「勝つため」には「攻める」だけではだめで
「守る方法」を手にして初めて勝利を手にできる。
それが
ケンカ=討論で勝利する秘訣。
防御と攻撃、両方が十箇条として書いてあります。
これは社会で生きるのみならず
家庭の中でも使える技です。
ぜひ本を手にとって読んで欲しいと思います。
9. 最後まで読んでこそ、初めてわかること
ボリュームのある内容を読み
ああ、もう少しでこの本が終わってしまう・・・
そんな寂しさを覚えた時に読む
最期の章「再び出発点(スタート)へ」
ここにたどり着いて初めて、この本の内容をちゃんと理解したかどうかがわかります。
少なくとも
この本を最初に読んだ時は、この本の内容を自分に落とし込めてはいませんでした。
それが
20年という歳月がたち
私も年相応に経験してみてから読んだこの本は
新たな発見の連続でした。
「学問は真理のためだけにあるのではないか」という学生からの反応に悩まされてきたが、二十歳くらい迄のあいだに、そのような「学問観」がどうやって形成されてきたのかの方が、私には謎に思える。
※ ※ ※
もしかしたらたんに「解」はひとつ、という受験教育の弊害にすぎないかもしれない。
(上野千鶴子「<わたし>のメタ社会学」)
人はどうしても
答えは一つ、方法は一つ
そう思いがちではないでしょうか?
誰かがそれを「正解」と言えば
それがたった一つの真実だと思ってしまう。
そう思い込んでいるけれど
実はこの世の中、そうではないですよね。
私が正しいと思う事が
他人にとって正しい事ではないように
自分にとってのベストな方法が
他人にとってベストではない。
人がみな、外見が違うように
人はみな、考えも思想も違う。
そのことを、頭と心でわかっていますか?
という問い。
他人と一緒であること
他人と同じであることに
安心しきっていることは
自分で考える事
自分で選択することを
自ら放棄していること。
自分で考えて行動することは
自分に責任をもつことで
恐いことでもあるけれど
でも
自分で考えることで
手にする世界、自由を
決して手放してはいけないのだと思ったのでした。
以上、私の感想は終わりです。
長文を最後までお読みいただき
本当にありがとうございました。
MAKI