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厳格な家庭から生まれるアーティスト~ブラックミュージックとの共通点~

あなたの周りにも居ませんか?
割とお堅い職業厳格な親の元で育った、突然変異的アーティストクリエイターが。

親の影響を受けて、音楽等の創作活動を始める人達も多いのですが、
意外と、そうではないケースが多く見受けられます。

私が育った家庭環境は、世間一般的に見ると、割と裕福な部類です。
noteで何度も書いていますが、大変厳格な家庭環境であり、
いわゆる「毒親育ち」です。

そんな私が、何故、道を踏み外し、
人生の裏街道を生き抜き、作詞作曲ピアノ弾き語りライターなどの、
「創作」に目覚めたのか?

ここでは私の友人達の中にも時折存在する、
突然変異的なアーティストやクリエイターについて。
また、何故そうなるのか?について、
ブラックミュージックのルーツとの共通点を、
私なりの解釈で書きたいと思います。

私が育った家庭環境と幼少期

厳しかったピアノのレッスン

上を見ればキリがないですが、私は割と裕福な家庭環境で育ったと思います。

幼少期からピアノを買い与えられ、
Googleで名前を検索すると、プロの演奏家たちのプロフィールにおいて、
『〇〇 △△子氏に師事』という風に名前が出てくるような、有名な先生にピアノを教わっていました。

当然、レッスンは「趣味」の域を超え、
「将来はプロのピアニストに…」という母親の夢を背負わされ、
母親とピアノ教師の期待を一身に浴び続ける、大変厳しいものでした。

「この子には才能がある!!」と、大人達に期待させてしまうだけの実力があったらしく、
遊びたいさかりの幼少期から小学生において、私の生活の軸はピアノが中心でした。

ただし、当時を振り返ってみると、
本当にピアノが好きでやりたかったという事ではなく、
ただ、親とピアノの先生の期待に応えるべく、
目の前に与えられ続ける課題を、懸命にこなしていたというだけのことで、
ピアノを上手に弾けば、周囲の大人達がとても喜び、
褒めて貰えたので、とにかく頑張ったという感じでした。

歌は習った事がない

ピアノのレッスンで「聴音」の訓練を受け、
耳で聴いた音を五線譜に落としこみ、それを答え合わせのように、
ピアノの先生の演奏に合わせて歌うことはあったものの、
歌のレッスンは受けたことはありません。

でも、小学生の頃から歌う事が好きで、
地声とファルセットの発生方法や、切り替え方などについて、
自分で興味を持ち、練習をし始めました。

クラシックピアノを辞める

親もピアノ教師も、将来は私を芸大に送り込み、
プロのピアニストにする気マンマンでしたが、
様々な不幸に見舞われました。

  1. 芸大に進学するためには勉強も必要だと言われる。

  2. 急に中学受験をする事となり、受験勉強が忙しくなる。

  3. ピアノ教師の介護ストレスにより八つ当たりを受ける。

  4. 私自身も心労が重なり、ピアノのレッスンに行けなくなる。

  5. 中学受験を理由に暫くピアノを休止し、同時にプロへの道を断念。

簡単にまとめると、こんな感じでした。

周りの大人達の都合で勝手に期待され、
厳しすぎるレッスンを受け、勉強でも期待され、結果ピアノの才能を潰されてしまいました。

中学生以降、趣味のレベルでピアノのレッスンに通った事もありましたが、
とても厳しかった反面、大変優秀なピアノ教師に教わってきた私は、
他のどの先生のレッスンにも満足することが出来ず、
ピアノを辞めてしまいました。

当時は勉強が出来たので、親は別の形で私に期待する事となり、
ピアノを辞める事については、良い言い訳が出来たと思っています。

親への反発と創作の開花

歌と作詞作曲の目覚め

中学2年生頃になると、幼少期から好きだった歌に対しての興味が強くなり、当時流行していたJ-POPを好んで歌うようになりました。

そしてまた、かねてから得意としていた「詩」の創作と共に、
急に作詞作曲を始め、周囲を驚かせたのもこの頃でした。

同時に、親に決められたレールを進み、
親の期待に応える事に違和感を感じ、
自我の目覚めと共に、自分の人生を好きなように生きたいと強く感じました。

芝居やダンスへの目覚め

表現の幅を増やしたいと考え、
どうしてもダンス芝居がやりたいと主張し、
ジャズダンスのレッスンに通ったり、劇団に所属したり、
人前で表現する喜びを、ひしひしと感じました。

そして、大好きな歌とダンスと芝居が全て活かせる、
ミュージカルがやりたいと自分の夢を設定し、
夢の実現に向けて、精一杯努力しました。

交通事故と人生の転機

19歳で交通事故に見舞われ、左足首を複雑骨折。
思うように踊れなくなり、ミュージカル女優になる夢を諦めざるを得ませんでした。

でも、丁度その頃、劇団という組織において、
あまり積極的にやりたくない仕事や、レッスンなどにおいて、
「このままでいいのかな?」と疑問を感じていた頃でもありました。

「最悪の場合は左足首を切断する」という話を聞いた外科病棟で、咄嗟に思いついたことは、ピアノ弾き語りでした。

シンガーソングライターとして

作詞作曲をして、ライブハウスで活動するシンガーソングライターとして、
20代を過ごしました。

親の期待に応え続けるだけの人生ではなく、
私は自分の人生を、自分の好きなように生きる!!

そんな強い意思がありました。

毒親育ちで、たくさん苦しい思いをしてきた分、
言葉で伝えきれない「心の叫び」を歌にして表現し、
血で書いたような作品と表現力は、多くの人達の心に届き、
共感を得る事ができました。

今でも時を超え、Twitterを通じて、
当時の歌声を聴いて頂ける事を、とても嬉しく思います。

ブラックミュージックとの共通点

ブラックミュージックのルーツ

ブラックミュージックは、とても力強く、人の心を揺さぶります。
黒人差別により、奴隷として不当な扱いを受けた人達が、
鎖で拘束されつつも、「魂までは縛られない!!」という強い意思のもと、生み出した音楽だと解釈しています。

足を踏み鳴らし、鎖を鳴らし、リズムを取り、
声を上げ、心の叫びを音楽として表現する、ブラック・スピリチュアル。

そして、文字を教わる機会が奪われた彼らは、
その分、耳の記憶が発達し、ヒアリングと再現力が必要な音楽において、
優れた才能を発揮することとなりました。

制限される程に高まる独創性

私自身がそうなのですが、
厳格な家庭で育ち、親から多くの制限を受けました。

「あれをしてはダメ」「これをしてはダメ」
「こうしなさい」「ああしなさい」

友人関係についても、いちいち口出しをされ、
「管理される日常」にうんざりしていました。

まるで親の奴隷のように、自由を奪われ続け、
制限される日々に、強く激しい反発心を抱いていました。

そして性的虐待をはじめ、不当な扱いを受ける事に対しての怒り悲しみを抱き、声にならない叫びを伝える手段を模索しました。

今思えば、ライブハウスで活動していた頃の私は、
今のように文章で伝える術を持たず、
「歌」を通して表現し、誰かに気付いて欲しいと願っていたのかもしれません。

制限されればされる程、人は自由を追い求め、
鎖を解き放ち、心を解放したいと、「自己表現」を追い求めるものなのかもしれません。

そして、既にこの世に存在するものの模倣ではなく、
「独自のものを新たに生み出したい」という欲求が高まるのかもしれません。

魂の叫び

ブラックミュージックが人の心を強く揺さぶるのは、
魂がこもっているからだと思うのです。

不当な扱いを受けてきた怒りや悲しみ、そしてそれに屈しないという強い意思と、穢れなき美しい魂が、人の心を感動させるのです。

厳格な家庭で育ち、突然変異的アーティストクリエイターとなった人達もまた、親に対しての強い反発心を持ち、
何者にも縛られない自由な生き方を追い求め、魂を込めて創作するからこそ、人の心にその想いが届くのではないでしょうか。

おわりに

私は「魂の叫び」のような作品を創作する人達が好きです。
言葉だけでは表現しきれない「想い」を、まるでテレパシーのように伝えてくれるのが、芝居文章、或いは絵画などで表現された「作品」だと思うのです。

文章も、言葉で伝えるものではあるものの、
行間を読むと、書き手の真意が伝わってきます。

そんな魂が込められた作品に触れると、心を突き動かされるような感動を覚えます。
きっと、私と同じような人達は大勢いらっしゃることでしょう。

私もまた、魂を揺さぶり、感動を与えられるような作品を、
今後も創作していきたいと思うのです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
いつも長くなり過ぎてしまうので、今回は短めにまとまるよう努力しました。それでも長いですね。(苦笑)

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