ヘミングウェイ「移動祝祭日」(1964)/本当のことを書くのはとても難しいという話
「老人と海」「誰がために鐘が鳴る」など数々の名作を書き、ノーベル文学賞まで受賞したアーネスト・ヘミングウェイ。彼は猟銃自殺をして亡くなっていて、そしてこの「移動祝祭日」は、そんな彼が生前、最後に手掛けていたエッセイだ。彼がまだ20代で無名で、パリに住んでいた頃の話を中心に、「華麗なるギャッツビー」のスコット・フィッツジェラルドとの思い出などが綴られている。
2021年に読んでよかった本10冊を考えている中でなんども自問自答したのが、本当に「この本」が良かったのか、ということだ。小難しい本を取り上げた方が賢くみえる、とか、そんな邪念が入ってはいないのか?と。2021年読んだ本リストの中からピックアップした本の題名を眺めながら、そんなことを考えた。
このヘミングウェイの「移動祝祭日」も、ノーベル文学賞をとった作家の本だから過大評価しているのでは、とも思った。
ただ読み返してみると、この本には私が好きな1920年代のパリのことと、純粋に「好き」で結ばれているカップルの貧しいながらも幸福な日々が綴ってあって、そして何より文章が抜群にうまくて、だからやっぱり読んでよかった本10冊のうちの1冊だな、文句なし、と自信を持てた。
このヘミングウェイの「移動祝祭日」にはこんな一節がある。
文章を書いている中で時々「嘘」が混じり自分で読み返して罰が悪くなる。「面白かった」「興味深かった」なんて言葉には特に嘘が混じりやすい。
皆が「いい」と言っているものを「そうでもなかった」、皆が「大したことがなかった」と言っているものを「よかった」と言うのは勇気がいる。そしてたとえ興味を惹かれたとして、それが厳密に「面白かった」か、を考えるとそうでもないケースが少なくない。
たとえば私にとってこの「移動祝祭日」はよく考えると「面白い」作品ではなかった。文章として洗練されていて憧れた。1920年代のパリの様子が伝わってきて、読むことでますますその時代の空気を感じられる気がした。ヘミングウェイの最初の妻、ハドリーとの初々しいやりとりに心打たれた。そして何より、この「移動祝祭日」が、ヘミングウェイの最後の作品になったこと、そして書かれているのが自分がまだ無名時代だったころの思い出、ということに、成功者が抱える悲哀が見え隠れする気がして、それがとても印象に残っている。
それを総合して「面白い」と表現するのかもしれない。ただそれはヘミングウェイの言う「ただ一つの真実の文章を書くこと、それだけでいい。自分の知っているいちばん噓のない文章を書いてみろ」には沿っていないように思う。
いい文章を書きたい、と日々考える私にとって、この本はお手本のようだった。ただいちばん心に刻まないといけないのは「嘘のない文章を書く」という、この教えなのかもしれない、そんなことを考えた。