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何が困ってることなのか?

プロジェクトの上司と話していて、上司が今困っている話を聞いた。

「自分は困らないけど、困ることがわかってないメンバーに、そのままだと困ると伝わってほしい」
「なのに、全然伝わらない」
っていうような、話。 

わかる気はするけどわからなくて、聞ききれず話しきれずに終わってしまってもやっとしている。

なかなか動かない、やる気があるかわからない、みたいな感じだと、不景気で会社の状況もいまいちでって中で、うまくいかないんじゃない?あとで困るんじゃない?っていう考えはまぁわかる。

あとで困らないように、今からがんばった方がよくない?っていう考えもまぁわかる。

どこいってもそこそこできるかもしれないけど、やりがいあるところ選んでもっとがんばれた方がよくない?みたいなところも、わからなくはない。

せっかく言われた仕事はできるのに、もっと自分から動けばもっとできるようになるのに!勿体無い!!みたいなのも、まぁそう思う人はいそうだなと思う。

でも、
「だから、こんなに、このままだと君たちが困るよって伝えているのに!」
っていうのは、よくわからない。

わからないっていうか、そう思ったりしそうだなっていうのはわかるんだけど、
「それで何があなたは困るの?」
ってところがわからないんだよなぁ。

自分は困らない。
ほかの人が困りそうなのをわかってくれないということが困る。

というのであれば、ほかの人が困りそうで、わかろうとしなくて、結果困るのはその人じゃない?

その人が困るところは、その人が考えたらいいじゃん?
変わりに考えてあげる必要はないし、変わりに困ったってその人には役に立たない。

わかってくれなくて困るのは、わかってくれないことで困る何かがほかにあったりしないのか?
そうではなくて、そこにこだわる何か理由があるのかな?

想像しててもわからないから、実際どうなのか知りたいなぁと思う。
私には想像つかない理由や背景があるかもしれないし。

「困ってる!」っていう話を聞くと、まぁそうだねぇ、って思ったり、そうなんだ?って、思ったりするけど、まず話されることって、わかりやすい表面の部分だけだったりする。
「こんなに困ってるんだ!!」っていう気持ちの部分とか、「こんなことが困るんだ!」っていう感情が動いた現象の話とか。

その奥の、なんで困ると感じたのか、その困る状況を困るとジャッジした理由の部分が知りたい。

「こうなったら困るじゃん!」の、「こうなったら」は、その人にとってはあたりまえに困ることだったりするけど、ほかの人にとってはあたりまえでないかもしれない。
そういう、ぱっと出てこないような、価値観とか習慣とか経験とかから生まれているような、そんなところを聞きたい。

そういうところに、きっと、ほんとに困ってることがあるんだと思うんだよな。

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