切り取る楽しさとひきだせる嬉しさ。
グラフィックファシリテーション講座に参加してきて、やっぱ描くの楽しいなぁと思うし、イラストが描きたいのではなくてこういうことがやりたいんだよなとしみじみ思う。
グラフィックレコードとして、記録を提供するのではなくて、対話をひきだせるものを描きたい。
グラレコ好きだし描くけど、でもいつも、「わかりやすくまとめられている」「きれいにまとまっている」ことが求められている気がして、世間一般のイメージでは「映える記録」と思われている気がして、そこがずっともやもやしていた。
そこも確かにいいところでもあるけど、でもそれはいいと言い切れるところでもない、諸刃の剣でもあるし。
グラフィックに落とし込むっていうところの価値は、もっと別のところにある。
記録じゃない、その場で可視化する意味と価値がある。
それをうまく伝えられなくて、そこの価値を出せるような仕事ができなくて、でもそういう価値を出せるようになりたいなと思って。
なので、その部分を伝えていると思う、その価値を提供していると思う、そういう人から話を聞けてよかった。
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グラレコがいやとかだめっていうのではなくて。
それはそれで好きで楽しい。
私の場合は、聞いている内容をどう切り取るか、どんなイメージが浮かぶか、というのを、その場で瞬時にどんどん決めて目の前に描いていくというのが楽しいところなので、リアルタイムで描くのが好き。
なのであとから整理してまとめて描いてっていうのは、できるけど楽しくはなくて、そんなの誰でもできるしわざわざ描いてもあまり価値もないなぁと思ってしまう。
きれいにまとめる過程自体、どうまとめたらいいか考えるのに理解して整理するプロセスは意味があると思うけど、それは自分のための意味であって、まとめた結果にたいしての価値って「きれいなまとめ」でしかないなと思ってしまう。
そう言いつつも、どうまとめたらいいかを考えること自体は楽しくて、なので図解制作とかイメージ制作みたいなのは好きなんだけど。
でもそれってどっちも、楽しいと思うとこと、自分の中で意味があるとこと、自分で価値をうめそうだと思っているところは、「切り取る」点なのだ。
何をピックアップして、どう見せるかっていうところ。
そこは、グラレコとか図解とかイラストとかで好きなこと。
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ファシリテーションとしてグラフィックを使うときには、描くのは触媒みたいなものだなぁと思う。
言葉で、見えないものでファシリテーションするよりも、ただ可視化するというだけで何かに気づくかもしれない、という可能性が好き。
相手の言葉を拾っておく、それを見れるようにする、っていう、問いかけたりして聞き出そうとしたり考えを深めようとしたりするときよりも、意図しての介入にならないサポートができるなっていうところとか、そもそも描いている自分自身が、聴いた言葉を拾いやすくなるところとかもいい。
「ファシリテーション」なだけに、その影響力というか、自分の意図が入らないようにしないとっていうプレッシャーとか、キーになる言葉を落としていないかとかいう不安とかも出てくるけども。
(でもその点はキャリアコンサルティングでも同じではあるし、見える分訂正したり気を付けやすくなるっていうのはいいかなと思う。)
グラフィックがあるから、「ひきだす」のではなくて「自然とひきだされてしまう」のがいいところだなと思う。
もちろん、そこに対して、適切な問いかけだったりふりかえりだったりができてこその価値だけど。
自分自身で気づいていける、っていう、自分自身での気づきをサポートできるっていう、何かしてあげる感がなんかちょっと少ないようなところが好きで、それはその人の可能性が1番自然に開くような気がするからだなと思っている。
見えてないところが見えてくる、気づかなかったところに気づく、そういう瞬間は楽しくて嬉しい。
そういうのは、グラファシとかキャリコンとかで好きなとこ。
それぞれ好きなんだけど、ただ描けばできるものではなくて、どう聴くかだしどう向き合うかどうあるか、みたいなところが大事だからこそ、今もっと真剣にやっていきたいなと思うのが後者だなと思う。
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