我慢ぐせをアンラーン
氷河期世代って遺伝子レベルで「我慢」がすり込まれてると思う。
(戦時中はもっとだよと言われたらそれは知らないのだけど。)
給食は残しちゃいけないし
体育や部活は水飲めないし
週6学校だし
行きたい業界は新卒採用クローズだし
面接はたいがい圧迫だし
途方もない数落ちるし
全然興味ない業界の営業職だけ内定出るし
入社したら速攻飛び込み(営業)だし
3ヶ月後も飛び込みしかしてないし
普通に終電までほとんど全員残ってるし
出社一択だし
会社の飲み会でおじさん上司全裸になるし
個の時代とか多様化の時代とかになる前は、ルールを守ることや我慢忍耐根性が当たり前の価値観だった。
周囲から与えられた役割にたいして「いやです」「やりたくないです」ということのリスクは今よりずっと大きかった気がする。
今思えば、そう思い込んでいただけなのかもしれないけれど。
何はともあれ、そういう自分たちが上司や先輩的な立場になり、個で多様化な若い人たちと関わると考え方や捉え方のギャップに戸惑うことがある。
彼らを見ていると、人間の進歩を感じるし、「そういうふうに考えて、そう行動するんだな」という気づきをたくさんもらえる。
決まりやルールがあったらまず疑う視点であったり、積極的にルールを変えようとする姿勢だったり。そして自分にとって快適な環境を求めにいく行動なども。
彼らに感化されながら、私自身も意識的にではあるが(無意識ではなかなかむずかしい)、ついルールにまかれようとする自分を抑えたりしている。
そんなふうに行動は多少変わったとはいえ、この置かれた環境や与えられたルールや役割を多少無理をしてでも受け入れる癖は抜けていない。
同じ世代の友人の話だが、有名企業の激務の部署にいる彼女は、組織の改変後のあれやこれやで最近とくに忙しく、彼女や数人の同僚が1週間連続終電で帰っていたそうだが、同じチームの2人の若手は定時の19時が過ぎれば帰っていくらしい。
「一緒に残れとは思わないけど、私なら分担しようと声かけるけどね…」とぼやいていた。
客観的にみれば、皆で定時に帰れるような分担や仕組みづくりやそもそもの仕事の削減をすべきではないか、的な話になるかもしれないが、私は彼女の行動や気持ちがすごく分かった。
自分にとっては、突発的に膨大な仕事が振ってきたのが会社の事情だとしても、自分の役割としてなんとかこなそうとするのが当たり前と考える。
ただそれが誰にとっても当たり前ではないことも分かっている。特に若手は「そんなの自分がわらなきゃいけないことじゃない」と考えるだろうし、根底の価値観がまったく違う人を説得できるだけの論理も持っていない。
(立場が上司ではなくて先輩というのも指示のしにくさにあるかも)
氷河期世代って、我慢が得意だ。それは遺伝子レベルですり込まれているからだ。
でも氷河期世代こそ、我慢癖をアンラーンして、自分が快適に生きる環境を目指して行動するといいと思う。そしたら社会全体のあり様すら変わっていきそうだ。
振り返りアプリStockrの中の人をやってます。