なんでもすぐに買ってくれる
子供にどう対応するのがいいのか、なにが正解で不正解なのか、毎日のように迷うことがある。
それが親のサガってなものだとして。
一つ我が家なりの正解を見つけても、次の日には新しい問題が出される。
「自分はこのように育てられたから同じようにすればいい」というのは思考停止にすぎるし、第一時代が変われば人も変わるし常識も変わる。
右に倣えが正解だった昔と違い、いまは規格外の行動がとれるほうが持てはやされる。
たぶん。
夫の母と同居の我が家、義母が昨夜、小2の次男にこう語りかけていた。
次男が欲しがってネットで購入したルービックキューブが届いたときだ。
「ハルちゃんは欲しいものなんでもすぐ買ってもらえていいね。」と。
そのあとすぐに、こうも言った。「ハルちゃんのおじいちゃんはこうすぐには買わなかったから。パパは欲しいものがあってもしばらくは辛抱したよ」と。
余計なこと言いくさってうるさいんじゃKUSOBBAが。
と私はチラリと思ったわけだが、「ねえ、ほんとにねー、幸せだねー(棒)」と受け流す。
同居歴10年の私はババアの妄言ごときに感情的になったりはしない。
次男にそのとき買ってやったルービックキューブ、次男が突然「ルービックを全面揃えられるようになりたい!ついては自分専用の回りやすいルービックを所望する!」とルービ熱を発症したため、うちに2個目のキューブとして購入に至ったものだ。
高いものではないし、「新しいの買うからには全面揃えられるようになりなよ」と約束してすぐに買ってやったわけだが、義母は我慢もさせずに買ってやったことに一言申したわけだ。
気持ちは分からなくもない。
私だって子供時代は誕生日まで待てだの、やれサンタにお願いしろだの、テストで100点が条件だのと、欲しいものを手に入れられるまではハードルだらけだった。
欲しいものを手に入れるにはなにか特別な行動やイベントが必要。それは当たり前のことだった。
だからといって、それでいよいよ買ってもらった後に特別に大事に扱うとかは、私に限ってはなかったように思う。
長い期間大事にするか、すぐに飽きるかはモノによる。
なんでも耐え忍ぶことが美徳とされたのは、戦後の風潮の名残ではないだろうか。
そういう教育を受けたからなのか、もしくは不遇の氷河期世代だからなのか、私自身の特徴的な性格としても辛抱強さがある。
最近その性格が、正しさや「べき論」に捉われて、自分の人生を幸せにするのにジャマしている気がしている。
欲しいものがあったら手に入れればいいし、手に入りにくいものならそのために試行錯誤する、やりたいことがあればやればいい、行きたいところがあるならすぐに行ってみる、自分の求める気持ちに躊躇なく反応できるほうが、人生幸せになれる気がする。
うちの子供たちはそうなってほしいので、オババは黙ってな👎(と、面と向かっていいたくても、それは言わない🙊)