僕の未来のためにできることは病名の公表
僕の未来のためにできることは病名の公表
40年前の8月9日、それは生後3日目、私が「先天性十二指腸閉鎖症」という病気を持っていることが判明し、初めて手術台に乗った日です。
私の子供時代は、手術の影響で苦しみながらも、自分の病気を乗り越えるために医院の待合室と処置室を行き来する日々が続きました。
12歳の誕生日に受診した日、医師からもう通院しなくていいと言われた事がとても嬉しかったのを覚えています。
それから学校に通い、社会人へと忙しい毎日を過ごしていました。
しかし、私の心の中には、自分と同じ病気を抱えている他の子供たちへの思いが強く存在していました。そして、その思いは私の中に一つの決断を生み出しました。それが、私の病名を公にするという決断でした。
学生時代に、インターネットを通じて、私は自分の病気について調べましたが、元気になった人の体験談やエッセイがほとんど見つからなかったのです。この現状に、私は深い悲しみを覚えました。しかし、その悲しみは私に行動を促し、病名を公にするという決断を後押ししました。
私が病名を公にしたことで、同じ病気を抱える人たちやその家族から多くの反響がありました。「安心した」、「希望が持てた」といった言葉に触れるたびに、私はこの決断が正しかったと再認識しました。
現在、私は大阪でダイビングスクールを経営しながら、日々を過ごしています。私が子供の頃に感じた不安から解放され、自分の好きなことをしながら生きることができる大人になれたことは、何よりの喜びです。
そして、何よりも大切なのは、これからも同じ病気を持つ人々が自分を見て、安心できる存在であり続けることです。これが、僕の未来のためにできることです。
そして、病院でアート作品を展示をして癒しの空間にするホスピタルアート活動も頑張ります。
大阪でダイビングスクールをしています