性自認のあれこれ、私の指向
※本記事には性的な内容を含みますので、苦手な方はバックをお願いします🙇♀️
突然ですが、皆さんは自分の性自認について考えたことはありますか?
近年はXジェンダーやトランスジェンダー等々、様々な性自認の形が知られつつありますよね。
性自認とも同様に、性的指向についても新しい価値観が広まってきています。
本記事では、性自認や性的指向になんとなーく疑問を抱いてきた私自身の体験を交えながら、性について自分なりに考えたことを書いてみました。
様々な価値観が複雑に絡み合うこの世の中で、性について悩む方のヒントに少しでもなればいいなと思っています😌
私の場合
私は身体の性は女性、心の性も女性だと認識しているが、幼い頃から思春期にかけては性自認や性的指向に迷いがあった。
最初に性自認に対して漠然と疑問を持ったのは小学生の時。
幼い頃から母の趣味で可愛らしい洋服を着さされ、可愛い可愛いと言われて育った私だが、小学校に入ってからは男の子と遊ぶことが多かった。
鬼ごっこや戦いごっこ、他の女の子が嫌がる泥遊びも楽しんでいた。
母曰く、複数のママ友から私には兄がいると思われていたらしい(実際は一人っ子)
けれども歳を重ねるにつれて周りの女の子がオシャレに気を遣い始めたり、男の子が性的なことに興味を持ち始めたりする。
私はというと、そこまでオシャレにこだわりはなかったものの、母がファッション好きだったので「そのお洋服どこで買ったの?」と聞かれることは多かった。
恥ずかしい話だが、むしろ当時の私は男の子と一緒に下ネタ話を聞く方がオシャレの話をするよりも楽しかった。
女として見られること
しかしそれと同時に私の体も成長し、身体的に男女差が現れてくる。
そこからずっと仲良くしていた男の子の友達から性的なことを言われることが増え、「女として見られること」に対して違和感を覚えた。
女として成長していく自分の体を鏡越しに見る度、
「これが本当の自分なのか?
異性から性的な目で見られるのが、本当の自分?」
なんて心の中で呟いた。
男友達から性的な目で見られることで、相手のことも「異性」として見なければならない、という複雑な気持ちにも襲われた。
男と女は永遠に「同じ」にはなれないのかもしれない。
友情は成立しないのかもしれない。
そう思ったのが、私が11か12くらいの頃だ。
彼女との出会いと、二度目の迷い
それから私はとあるクラスメイトの女の子と出会う。
元はと言えば彼女とは普通に友達として仲良くしていたが、当時は私も彼女も性的なことに対する興味が強く、恥ずかしながら下ネタ話も二人の間だけでするようになった。
しかし、次第に彼女は私の体に触れてくるようになる。
私はそれも嫌ではなかったので受け入れ、触りあいっこを続けるうちに私たちは手を繋いで下校するようになった。
ある日、いつも通り彼女とLINEでやり取りしている時にさらっと「好き」という言葉を言われた。
どういう「好き」なのか、ノリか本気か…それすらもよくわからなかったが、彼女との触れ合いで気持ちが高揚していた私は「私も好き」と言ってしまった。
そこから私たちはそれとなく性的なこともするようになるが、嫌な気はしなかった。
むしろ彼女に自分の一部を触られるのが堪らなく嬉しくて、何度も彼女を求めた。
けれども、これが「好き」という気持ちなのかどうかは一向に自分の中ではっきりせず、分からなかった。
触れられると嬉しい。でも、恋愛的な「好き」なのか分からない。
また鏡に映る裸の自分を見て問いかけた。
「この気持ちは本当の『好き』?
私は女の子が好きなの?
それが本当の私?」
結局自分は何者なのか、よく分からないまま彼女との付き合いを続けたが、最終的には他の女友達と仲良くする私に彼女が嫉妬し、喧嘩になって離れることになった。
性愛に対する疑問
彼女との別れからおよそ一年後、とある同級生の男の子と付き合うことになる。
聞くと彼は長い間私に好意を寄せてくれていたようで、それまでも継続的に会ってデートはしていた。
デートを重ねるにつれ、一途でまっすぐな人だということが感じられ、私もそんな彼に惹かれていった。
心の奥で「これが『好き』なのかな?」というぼんやりした疑問を抱きつつも、彼と過ごす時間は楽しかったので、彼からの「付き合ってください」を受け入れた。
しかしここで問題が発生する。
どうしても彼とキスやその先のことをしたいと思えなかった。
つまり、当時の私は彼のことを「異性」として見ることができなかったのだろう。
結局彼とはそのまま別れることになる。今でも申し訳ないと思っていて、彼のことを心から「好きになれない」自分を責めていた。
「結局私は、男性のことを好きになれないのかな?」
「もし私が男性のことを好きになれなかったら、『レズ』とかそういう枠組みにはめられるのかな」
なんてことも真剣に考えた。
ちなみに性自認に関しては、この頃には私もオシャレに目覚めたり、ネットで「レズ=心の性が男性 とは限らない」という記事を読んだりして解決しつつあった。
体の性も心の性も、どちらも女性だと認識しつつも、性的指向についてはいまだによく分からないまま学生生活を送った。
性的指向を明確にした出来事
そして私の性的指向を明確にした存在は、ひょんなことから出会ったとある男性。
出会ったばかりの頃は、近くにいてもものすごく仲良くなるというわけでもなく普通に過ごしていた。
しかしある時、偶然彼とゆっくり話す機会があり、急激に彼と意気投合して距離が縮まった。
そして私は気づいてしまった。
彼がものすごく私のタイプだということに。
今思えば、このタイプ(好み)というのが私の性的指向を探すのに重要だった。
人によって様々かもしれないが、私の中で異性のタイプというのは「性的魅力を感じる人(≒性的指向)」なのだ。
私の場合、男性には「タイプ」が存在する反面、女性には存在しないことに気が付いた。
そして彼との対話を重ねるにつれ、明確に彼のことが「好き」だと感じるようになり、「これが恋か!!!」とはっきりと分かったのを覚えている。
どうやら彼も私のことがタイプ中のタイプだったらしく、私たちは情熱と勢いで付き合い始めた。
私は彼の家にも行った。
広いキッチンにあるダイニングテーブルで話した後、彼の部屋でいちゃつくのがテンプレだった。
ダイニングテーブルの向かい側の壁には鏡があった。
二人で話しているうちに高揚して彼と嬉しそうにハグやキスをしている自分が、時折横目で見える。
そこに映っていたのは、紛れもなく「女」の自分だった。
異性に施されて喜んで体を差し出す自分。
そんな自分を見て驚く気持ちもあったものの、それ以上に彼との時間が愛しかったので「これも本当の自分なんだ」とすんなり受け入れられた。
「自分は男性といちゃつくことができないんじゃないか?」
「自分は本当に『異性愛者の女』なのか?」
どこかでそんな原因不明のモヤモヤがあったが、彼との恋愛を経てそれが解決した。
結局、性愛・性的指向や性自認とは?
私の個人的な考えとしては、性愛とは「性的魅力を感じる人に『愛しい』『触れたい』『交わりたい』と感じること」だと解釈している。
(ただし今のところは、なのでこれから変わる可能性もある)
ただ、性的魅力を感じる対象、もとい性的指向というのは人によってそれぞれだと思う。
私は迷いに迷った末に男性との恋愛を経験したことで「私は男性が好きだ」と分かったが、そうやって探り探りで様々な人と出会い、その中で自分の性的指向を発見するのも珍しいことではないかもしれない。
実際に最後の彼も、「幼い頃は自分の性的指向がはっきりと分からなかったが、思春期を経て自分の体が発達していくにつれ、女性が好きだと分かった」と言っていた。
性自認についても、私は歳を重ねるにつれて
「やっぱり可愛いものが好き(女性だけが可愛いものが好きとも言えないが)」
「好きな人の前では可愛い女の子でありたい」
という気持ちがあることに気が付いて、性自認が女性だと認識した。
ここから私が考えたのは、性的指向や性自認について長らく悩む人がいるのも、私たちの中に「思春期あたりには性的指向や性自認が決まっていて当たり前」のような潜在意識があるからではないか、ということだ。
性的指向や性自認がはっきりしないのは本来なら当たり前のことであって、様々な経験を通して分かっていくもの。
はっきりしないことは悪いことでもなんでもなくて、自然と分かっていくものだと思えば、性に深刻に悩まされる人も減るかもしれないと思った。
また、自分の人に対する「好き」「嫌い」という気持ちに正直になり、「これだ!」と思った出来事やその気持ちを掘り下げていくと、性的指向や性自認だけでなく自分の軸を理解するヒントにもなるかもしれない。
もちろんアセクシャルやアロマンティックという性的指向があるように、性的・恋愛感情を持たない人もいる。
自分がそうかもしれないと感じた場合は、ネットでアセクシャルやアロマンティックの人の考えを覗いてみたり、当事者と直接話してみるのもいいだろう。
今はとても便利な時代で、性的指向や性自認に悩む人たちがカフェで集まって対話をするプログラムなんかもあるようだ。
私も現代の便利なツールを活用しながら、自分と言う人間を理解しつつ、心地よく生きられるよう様々なことを学んでいきたいと思っている。
最後までお付き合いいただきありがとうございます😌
それでは~