教育を考える―学ぶという尊い欲求
2023/2/23(木):教育を考える⑲
祝日の今日も、このページを開いて下さってありがとうございます。
今日は「子ども」というものの本来の姿について、大村はま先生の経験から考えてみたいと思います。
戦後の時代、現役の中学校教諭だったはま先生は、大戦災地である東京江東区に赴任することになります。
教室も、本もノートも鉛筆さえない環境のなか、ワアワアと大騒ぎする100人の子どもたちを前に途方に暮れる思いでいたといいますが、はま先生はここでの経験が大きな気付きになったようです。
では、はま先生の残された文章を見てみましょう。
これこそ「学ぶ」ということの神髄といえるのではないでしょうか。
思えば、幼児期の子どもたちは「学ぶ」ということに多くの期待をし、嬉々として学ぶことに取り組みます。
本来人は「知らないことを知る」ということを欲する存在であり、「できるようになる」ということに喜びを見出すものでしょう。
それが、はま先生の言うところの「与えられた教材が自分に合って」いないこと、そして「学び」が強制されるものになった時に「食いつくように学ぶ」姿ではなくなってしまうのだと思います。
このはま先生の教えを実践するためには、教育の畑にいる方にとっては当たり前の「発達の最近接領域」の考えが参考になるのではないかと思います。
子どもの「学びたい」欲を刺激し、夢中になって教材に向かえるよう支援できる教師になるようになれるよう子どもの姿を注視していきたいですね。
間違っても、実現できないことを今の教育現場の環境のせいにすることのないように、そんな責任をもって教壇に立てるプロこそ素敵だと思います。だって環境を言い訳にしていいのだとしたら、はま先生は教科書や壁すらない中で子どもの姿に対峙したのだから…
子どもたちの本能的な「学びたい」に敬意をもち、伸ばしていけるように…そして同時に私たち大人も「学びたい」「伸びたい」という尊い思いを持ちながら学び続けられますように…