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家族写真から生まれる絆

写真はコミュニケーションのひとつ。撮ること残すことを通して会話ができる。その時の感情が記憶となり、写真を見ることで何度も思い出せる。写真は何を写し止めるのかを選択できる。その瞬間を選ぶのがカメラを手にした者に与えられる使命と言える。

僕は家族を写真に残している。特に着飾った訳でもない普通の写真。ビシッと決まった服装でも髪型でも表情でもない。少しだらしなくて脱力して過ごしている。住み慣れた環境では誰しもが素に戻る。そこに本当のその人らしい姿が見え隠れ。そんな瞬間を忘れたくなくてカメラを向けているのだ。

家族を撮ることは想像以上に簡単でない。みんな油断している瞬間を撮って欲しくない。だからこそ嫌がられるしスルスル逃げられる。残したい思いとは裏腹にカメラがあることで、いつもと違う行動を引き起こしていた。

写真はこうあるべきという一般的なイメージはある。カメラ目線でニッコリ微笑んでいる写真を思い描く人は多いだろう。そこにピースなど簡単なポージングが加われば満場一致で良い写真として認定される。ただし他にも良い写真はある。必ずしもカメラ目線である写真がそうとは限らない。こちらを見ていなくても、いつのの場所でいつものように過ごす。いつものように好きなことや興味あることに集中する。そんな姿を残せれば、よりその人らしさを表現できるんではと考えている。

先日両親を撮っている時に、父と母それぞれに写真を撮ってもらった。カメラを向けて互いに生まれる会話がありそこに笑い声が響く。改めてカメラを通してのコミュニケーションの尊さを実感した。さらに、おばあちゃんが友達との井戸端会議を終えて帰ってきた。そのタイミングで父が「撮ってあげようか?」とににこやかに駆け寄っていった。その姿を見ながらカメラを通しての会話や、撮りたいと思える何かの存在を見ることができた。

そこで撮られた写真を見返すことで、改めて家族のカタチを再認識できる。写真って良いな、家族って良いな。記念日だから写真を撮る場合は多い、しかし見方を変えれば撮った日が記念日になることだってある。家族と過ごす時間、共に過ごした時代、忘れたくない記憶。そういったものを大切にしたくて今日も家族を撮っている。


SUBARU(マカベ スバル)
鳥取県在住 / なにげない日常をテーマに写真を撮っている / 出張撮影 / 写真イベント企画  / 鳥取のPR活動も行なっている。


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