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ASD妻 幼少期の妻が黙り込んだ理由


黙り込む幼少期の妻

妻は小学校低学年の頃、いわゆる「緘黙」のような症状があったそうです。

緘黙(かんもく)とは、口を閉じて何も言わないこと、押し黙ることをいう無言症とも。
狭義には、言語能力を獲得しているにもかかわらず、何らかの心理的要因によって、一時期にあらゆる場面、あるいは特定の場面においてのみ、言葉を発しない状態を指す。

wikipedia

名前や性別、住所といった基本的な質問にはハキハキと答えられるのに、
「将来どんなことをしたいの?」や「この習い事でどんなふうに成長したいの?」
といった、自己表現や未来についての質問をされると、途端に言葉が出なくなり、黙り込んでしまっていたそうです。


イメージが豊かすぎて言葉にできなかった

妻は以前にも述べた通り、「ビジュアルシンカー」として、物事を視覚的なイメージで捉える特徴があります。

幼少期に「将来何をしたいか?」と聞かれた際も、具体的なイメージは浮かんでいたものの、それを言葉にする方法が分からなかったと言います。

妻はその後、成長するにつれて、学校や就職活動の面接で困らないように「無難な答え方」を身につけました。
例えば、「将来どんな仕事をしたいですか?」と聞かれた際には、「〇〇になりたいと思っています」とテンプレート的に答えます。
このように「型」にはめることで、一定の状況を乗り切れるようになりました。

他者とのコミュニケーションが難しい理由

しかし、想定外の質問や定型的な答えが通用しない場面では、妻は今でも言葉に詰まることがあります。
これは単にイレギュラーな状況が苦手なASDの特徴とも言えますが、
「頭の中にはイメージがあるのに、それを言葉に変換するのが難しい」
という「ビジュアルシンカー」の特徴が大きく関係しているのだと思います。
この解釈は妻自身にも納得がいくもので、僕自身もその説明を聞いてとてもしっくり来るものがあります。

妻が他者とのコミュニケーションを難しく感じる一因は、「視覚的な思考」を、他者にも分かりやすい「言葉」に変換するのが難しい、ということなのだと思います。
妻の視覚的な思考スタイルは、とても大きな情報量を持っていますが、コミュニケーションにおいては、それがそのまま巨大なボトルネックになる、という、とてもシンプルだけど根の深い問題を知ったエピソードでした。




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