見出し画像

紀行文|小特集『ひみつの旅』❶〜❸

❶ 「馬で旅する人」 文・森野水茎 (825字)

白地に黒い文字で「Pferd(馬)」と書いてあった。

 スイスの古い小さな村を訪れるのが好きだ。イタリアとの国境にあるカスタセーニャ(Castasegna)という村は「栗の里」として有名で、毎年秋には約三週間続けて栗祭りが行われている。なんとローマ人が栗の木を運んで来たらしい。ある夏、有名な“トルタ・ディ・カスターニュ(栗タルト)を食べに村を訪れた。屋外のカフェでスモークした栗を使った上品な味を堪能していると、遠くに二頭の馬が見えた。他の村でもそうだが、何気なく馬がいる。馬が歩く道があって、ハイキングしているときもよく馬に乗っている人とすれ違う。まぁ、牛やヤギが歩く道もあるし、鉢合わせしたときは人間が道を譲るのが鉄則だ。

 馬の話に戻るが、一頭は男性にひかれながら、もう一頭には女性が乗っていた。男性と目が合ったので軽く挨拶をして少し話をした。二人は休暇を利用して馬で旅をしていた。馬の背には両側に荷物を入れる袋が掛かっていた。荷物は重そうに見えたが、石畳の道を歩く蹄の音は心地よかった。

 自転車やオートバイで旅をしている人はたくさん見かけるが、さすがに馬というのは初めてだ。宿はどうしているのだろう……カッポカッポとのんびり過ぎ去っていく馬と主人は、19世紀の雰囲気が残るメインストリートにはまっていた。

 「はて? 馬、馬、馬……あっ、あれだ!」

 頭の中で走馬灯のようにある光景が浮かんできた。ここからはいくつも谷を越えるが、もっと古い村にある、家の敷地とも野原とも区別がつかない場所に、青地に白抜きで「P」と書かれた標識があり、その下には白地に黒い文字で「Pferd(馬)」と書いてあった。そのときは、こんな所に駐車場ならぬ駐馬場があるとは誰が使うのだろうと不思議に思い、写真を撮った。
 
 なるほど、馬の休み所は当たり前なのだなと感心した次第である。

 カスタセーニャはローマ時代の街道沿いにある村だ。車に混じって馬が交通手段でも全く違和感無し。いつしか私は栗毛の馬にまたがって、時をゆっくり遡る。

❷ 「小さな本屋をめぐる冒険」 文・深井緑 (667字)

神社仏閣の御朱印ならぬ本屋の「御書印」というものもあり

 ひそかに大切にしている旅のスタイルがある。それは本を目的に旅に出ること。
 誰にも言わずふらりと行って日帰りしても満たされる、小さな旅が好きだ。
 目指すのは、昨今全国に増えている「独立系書店」といわれる小さな本屋。独特なセレクトの本に、雑貨屋やギャラリー、カフェなどを併設する店もある。本の愉しみは読むことだけではない。本棚を眺めて時々手に取ってパラパラ見つつ、その空間自体を味わうのもいい。

 本屋ライターである和氣正幸の本『さあ、本屋をはじめよう』は、独立系書店の現在や掲載店各々の思いが綴られ、本屋や本とは何なのか見つめ直すことができる。
 例えば「アルスクモノイ」(東京都)は、本を「一冊一冊それぞれが過去へのちいさな扉」「未知の世界への案内人」と捉えてアートや海外文学を中心に取り揃える。
「ON READING」(愛知県)は、「『文芸』や『美術』といったジャンルではなく、その本が持つメッセージや感触のようなものを手がかりに」本を並べ、その「あいだ≒関係」を浮かび上がらせるという。
 そして多くの店主が口にするのは、地域や人とのつながりの大切さである。

 遠くにあるお店には、いつか行く日を夢見て妄想旅行をする。
 大きな書店も、その土地ならではの本の置き方をすることが多いので要チェック。
 神社仏閣の御朱印ならぬ本屋の「御書印」というものもあり、本屋巡りを一層思い出深くしてくれる。

 書店ごとの多様な世界観を訪ね歩く、小さなブックツーリズム。
 そこで何を見つけ、何を考え、どんな心もちになるかは、行ってみてのお楽しみ。
 良い旅を!

〜参考図書〜
和氣正幸『改訂新版 東京 わざわざ行きたい 街の本屋さん』ジー・ビー、2024年(8/27発売)
和氣正幸監修『さあ、本屋をはじめよう 町の書店の新しい可能性』Pヴァイン、2024年
田村美葉『東京の美しい本屋さん 最新改訂版』エクスナレッジ、2023年
新井宏明他著『全国 旅をしてでも行きたい街の本屋さん』ジー・ビー、2018年

❸ 「猿島に猿はいなかった」 文・猫玉しい子 (835字)

崩れかけた煉瓦の表面を、シダ植物がみっしり覆い尽くしている

 小学生の夏休みも終わりに近づいたある日、子供を連れて猿島を旅した。猿島は東京湾唯一の無人島であり、旧日本軍の要塞島だ。まん延防止等重点措置の終了後、わたしたちは毎年戦争に思いを馳せることができる土地を旅している。一昨年は広島平和記念資料館、去年は知覧特攻平和会館を訪れた。

 数日観光したところでいったい戦争の何がわかる、そんなものは綺麗ごとだと嗤われるかもしれない。しかし、それを断念するのは、わたしにとって戦争についての思考を放棄するのと同義である。さらなる綺麗ごと語りが許されるならば、わたしは子供と未知の世界を繋ぐ架け橋であり続けたいのだ。

 猿島という名は、嵐に遭った日蓮聖人を白い猿が救った伝説に由来しており、実際には島に猿は存在しない。

 土砂降りの中をフェリーで島へ向かったが、到着後しばらくすると雨は止んだ。悪天候のせいか観光客はまばらだった。「お客さん、ついてますね」ガイドの老人が言った。

 海から見れば木立が鬱蒼と生い茂るただの小島だが、いざ踏み入ってみるとそこは、煉瓦の緻密な組み合わせによって構成された秘密の要塞だった。第二次世界大戦下で壊滅的な打撃を受け、今はすっかり廃墟と化している。崩れかけた煉瓦の表面を、シダ植物がみっしり覆い尽くしているさまは、息を呑むほど美しかった。

 百八段あるという階段を登って島の頂上に辿り着く。急に森が開けて、心地よい海風が吹き抜けていく。

 「横須賀のほうをごらんなさい。大きな白い建物がたくさん見えるでしょう。あそこが横須賀基地、治外法権のアメリカ領カリフォルニア州です」

 後で調べたところ、「横須賀基地=カリフォルニア州」は、今日までまことしやかに流布され続けているデマであるらしい。地元にさえ、それを鵜呑みにしている人間がいるのだ。

 だが、横須賀の街中で異彩を放つ白亜の建造物群は、そのデマを信じ込ませるに足る堂々とした姿で猿島を見つめていた。猿島に白い猿はいなかったが、海の向こうに白いカリフォルニアを見た。


*外務省HP「日米地位協定Q&A」によれば、米軍の施設・区域は、日本政府が米国に対しその使用を許しているものであって、アメリカの領域ではなく日本の領域である。したがって、米軍の施設・区域内でも日本の法令は適用されている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/qa04.html





いいなと思ったら応援しよう!