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パラグアイで肺炎と診断された話。

南米の空気と喧騒に心を踊らせながら旅を続けていたけれど、
ある日、それが一転する。

ブラジルの安宿のエアコンに
喉をやられたのがきっかけだったかもしれない。

そのまま、20時間かかると言われたアルゼンチンのプエルトイグアス行きのバスに乗る。

途中で何度も降ろされたせいで、予定よりかなり遅くプエルトイグアスに到着した。
そのころには、もう立っているのも辛くなっていた。

プエルトイグアスはイグアスの滝の観光拠点の小さな町。
世界中から人が集まる町だが、大きな病院が見当たらない。
辛うじて見つけた町の小さな病院に向かったが、受付の人に追い返された。

スペイン語の説明はよくわからなかったけど、
どうやら日本人を診る余裕なんてないらしい。
絶望感で心が重くなる。

体を引きずり、パラグアイにある
首都アスンシオンへ向かうバスに乗った。
アルゼンチンの首都は遠かったのだ。

でも、この道中がまた地獄だった。

高熱で朦朧とするなか、身体中の力が抜け、思考力が、記憶が、遠のいていく。

ただ、入国審査のゲートが見えたとき、
そこがパラグアイだと気づき、
少しだけ安心した映像だけは記憶に残っている。

到着するや否や、なんとか病院へ向かった。

外務省のホームページには
「日本語が通じる医師がいる」
と書いてあったけど、その日は夜遅く、
急患対応の病院では英語さえも通じない。

言葉が通じない中で、自分の体調を伝えるのに必死。

なんとか検査が始まり、血液検査やレントゲンを受けた。
ベッドの上、スペイン語しか話さない看護師さんたちに囲まれる。

スペイン語が耳をかすめるばかり。
私も看護師さんたちも困ってる。
みんな困ってる。

そこで、ふとバッグに入れてあった
「旅の指さし会話帳 〜スペイン語〜」
を思い出した。

普段なら持たないはずのものなのに、
なぜかブラジルで拾って持ってきていたのだ。

一つずつページをめくり、
症状を指差していった。
そして「neumonía(肺炎)」の単語を指差したとたん、
看護師さんたちが一斉に「Sí!」と顔を輝かせた。
大歓喜の瞬間だ。

肺炎だったのか…答え合わせができた!
という喜びも束の間、その診断結果に絶望。

入院勧告されたが、断固拒否。

今なら素直に入院してるだろうけど、
当時は嫌だった。
看護師さんたちは困った顔で、
「日本語のわかる先生が来るから、明日また来るように」と言った。

肺炎と分かってからは、
なぜだか看護師さんたちと
心も通じ合ってるみたいに言ってることが分かった。

体には右手の甲にチューブがつけられ、
不自由な体での移動になった。

今まで当たり前にできていたことが、
手が利かないだけで一気に難しくなるものだと知る。

翌日から、ヒッチハイクで病院に通うことにした。

首都のはずなのにどこか静かなアスンシオンの町。
右手のチューブを見ると、誰もが「大丈夫?」と声をかけてくれる。
金もない、言葉も通じない貧乏旅行者にとって、
その優しさがどれほど助けになったか。

宿のスタッフたちも、
私が皿洗いをしようとするたび
「いいから、座って休んでて」と気遣ってくれた。
思いがけない人々の親切が、疲れた心と体に染み渡る。

ブラジル、アルゼンチンを経て、パラグアイへとたどり着いた先で、
なんだかここで少し休んでいいと言われている気さえした。
スペイン語は話せない私の言葉を、
先生や看護師たちが一生懸命理解しようとしてくれる。

肺炎だとわかり、
旅の途中でこんな病気にかかってどうなってしまうんだろうと、
不安に押しつぶされそうだった。

でも、見ず知らずの人々が手を差し伸べ、
言葉が通じなくてもなんとか理解しようとしてくれる。

優しさが行き交うこの異国の地で、
命がこうして繋がれているのだと感じると、
何もかもが愛おしい。

パラグアイは命の恩人…恩国だ。
私の命を繋ぎ止めてくれた彼らの優しさと、
パラグアイの青い空をいつまでも胸の中で大切にしたいと思ってる。

ちなみに、肺炎と診断された時のレントゲンは
なんだか捨てられなくて、今でも大事にとってある。

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