過去への意味づけが薄くなっていく
時代の転換期の湯処、まいの湯へいらっしゃい♨️
ここ数ヵ月、
どんどんと「過去」に執着がなくなり
思い出せなくなっています
(追記:思い出すことがなくなっている、感覚)
これは今までいかに
「過去」への「意味づけ」が
されてきたか、ということで
私たちの多くは
「過去」に対する「意味づけ」に
苦しさや達成感など
悲喜こもごも感じていて
それにある意味「支えられていた」?
と無意識レベルかもしれませんが
そう感じている人も多いでしょう
「過去」が辛かったものでも
悲しかったものでも
その記憶はなにかしらの
「自分が存在した事実」でもあり
そこを起点(軸)に
「これからこうしたい」
「こんな想いはもうしたくないから~になる」
と未来にピンを指す📍
そういったアプローチを
「現実創造」に活かしてこられた方も
多いかもしれません
でもそれすら、もっと軽く
薄くしていっても大丈夫
それが結果として
「今をいきる」になり
「今」「今」「今」の連続が
現実を創っていることを
体感する入口にもなります
私がセッションなどで
手書きのノートを通した「内観」や
ホロスコープを通した「自己理解」の
サポートをしているときは
「振り返りが大事!」と口酸っぱく
お伝えしておりますが
ある一定のフェーズに来ると
その「振り返り」をするときの
捉え方が変わっていきます
私も、かれこれ3年は
「振り返り」と言ったときには
「多数の人の共通意識に
経験から伝えられることはなにかな?」
「どこをどういう切り口で振り返れば
より自分の内面がクリーンになるかな?」
と言った目線でもって
文章にしたり、人に話したり、内省してきました
この感覚が伝わるかはわかりませんが
臨場感たっぷりで振り返りする
初期のフェーズとは
だいぶ視点が変わっているのです
過去への意味づけが薄くなっていくと
ただシンプルに「今」やりたいことを
積み重ねられるようになります
逆に、
「今」やりたいことを
積み重ねることで
過去への意味付けが薄くなっていく
と言っても良いでしょう🌸
「過去」が薄れていっても
「今」が尊いから
安心して大丈夫です
「今」の尊さを
味わい続ける至福が訪れます
♨️