習い事の強制と放任のいい按配がわからない
2024年2月27日 晴れ
習い事の強制と放任のいい按配は、いまだによくわからない。
私の場合、子どもと対話した結果、双方納得ができたら、始めることも辞めることもやぶさかではないが、果たしてそんなことでいいのか。
習い事を続ける中で、必ずぶち当たる小さな壁を乗り越えるのに、親が多少強制することも時に必要かもしれない。
その壁を乗り越えて、次なるステージへ進む経験値がプライスレスだということを、多くの大人は知っている。
しかし、私の場合、◯◯という目標はクリアしたからもういい、次は△△がしたいから◯◯はもういい、などと言われると、まぁそれもまた良しとなる。
今朝、長女が、「◯◯ちゃんは、△△をつまんないって言ってるんだけど、まだ習ってる」って話を教えてくれて、改めてそのことに思いを馳せてみた次第。
上記のような内容を長女に問いかけると、「◯◯(長女)の中の正解と、パパの中の正解と、他の人たちの中の正解があって、世の中には一つの答えなんてないんでしょ?」と言う長女。
あーん?
なんか難しいことを言っているようだが、それは一方で、自分を正義とし過ぎていやしないか?
自分を疑うことも大事だろう?って話だからね。
と伝えると、「養老さんの話ばっかりするの辞めてくれる?」と言われた。
養老先生をなんだと思っているんだ笑。
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