紫式部日記第50話小少将の君の文おこせたまへる返り事書くに、
(原文)
小少将の君の文おこせたまへる返り事書くに、時雨れのさとかきくらせば、使ひも急ぐ。
「また空の気色も心地さわぎてなむ」
とて、腰折れたることや書きまぜたりけむ。
暗うなりにたるに、たちかへり、いたう霞みたる濃染紙に、
雲間なく ながむる空も かきくらし いかにしのぶる 時雨れなるらむ
書きつらむこともおぼえず、
ことわりの 時雨れの空は 雲間あれど ながむる袖ぞ 乾く間もなき
※小少将の君:紫式部と特に親しかった中宮付女房。この文を書いた当時は里下がり(自宅に戻っていた)していた。
※使い:手紙を届ける使者。
※腰折れ:腰折れ歌。一般的には下手な歌のこと。
※いたう霞みたる濃染紙:濃い紫のぼかし染めを施した紙。雲のたなびく姿に見える。
(舞夢訳)
里下がりをしていた小少将の君から、手紙が届きました。
その返事を書いておりますと、時雨が降って来て空を暗くするので、使いの者は返事を急がせて来ます。
「空模様と同じです、私の心も落ち着きません」
と書いて、我ながら下手な歌を書いて、中に入れたことを覚えています。
すると、すっかり暗くなった頃に、再び、手紙が届きました。
濃い紫のぼかし染めの紙に、
私も、絶え間のない物思いにふけりながら、空を眺めておりました。
すると、雲の切れ間もない空から、雨が降り出したのです。
空も、相当に我慢していたから、仕方なくの時雨なのでしょうか。
そして、この私も、誰を思っての涙なのでしょうか。
(私は、あなたを心配に思って、涙を流しているのです)
さて、私は、その前に何を書いたのか、しっかりと覚えておりませんでした。
それでも、思い出せないままに、返事を送りました。
この季節のことで、時雨が降ったとしても、空には雲の切れ間があるのです。
しかし、それを眺める私の袖は、涙で湿り、乾くことはないのです。
小少将の君は、紫式部が数少ない心を許せる同僚の女房。
上品、優雅であったけれど、気弱なところもあったとされている。
二人とも、仕事や土御門殿での生活に悩んでいたと思われ、お互いに「ぼやきあっている」、そんな感じだろうか。
「泣くほど嫌なら、職を辞すればいい」とするのは簡単。
そうはできないから、悩む。
縁故からの就職であるし、簡単には、自分から辞めることは難しい。
仲立ちした人、勤め先、自分の実家にも、迷惑がかかる。
現代とは比較にならないほど、身分差別が強かった時代。
心の底では馬鹿にしていても、身分が上なら、嫌でも深く頭を下げなければならない。
少しでも、身分不相応のことをしでかせば、たちまち噂が広まり、狭い宮廷社会では生きていけないほどの仕打ちをうける。
(源氏物語:桐壺更衣を、後宮全員が苛めたように)
そんなことを、あれこれ考えながら、気を遣いながらのお勤めや生活。
やはり、馴染めない人には、辛かったのだと思う。