感情の波に溺れる読書週間①
同居人不在の3連休。
おひとり様満喫プラン(動画編集やランニング・スイーツめぐり)は何一つ実行できず、一心不乱に読書に勤しんでおりました。
何回かに分けてご紹介・記録用にnoteに書き記そうとおもいますのでぜひご一読くださいませ。
「生を祝う」李琴峰
子が親を選べる世界。
胎児は10段階で評価される「生存難易度」をもとに出生意思を主張でき、親は胎児の意思に従わなければならない。
もちろん胎児が誕生を望めば、両親も本人が望んで生まれて来てくれたと安心できるし、生きづらいときにも自らが選択した道だと自分を納得させることもできる。
だが、胎児に拒否された両親は?
生死をコントロールという重要な問に対して、
胎児は正しく判断できるのか?
技術の進歩はときに不平等や不要な苦悩を生む
私はまず親の気持ちになって悲しみ涙し、
その後高校生のとき以来頭の片隅にある考えに思いを馳せました。
大学受験の際に(かなり厨二病な考えですが)進路を考える過程で、「大学で学べる学問はすべて人間のエゴでは?」と感じていました。
・人類が歩んできた歴史や経済を学ぶ
・技術革新によって産業を発展させる
・ヒトが食べる農作物を研究する
・超自然的にヒトを延命させる医療を進歩させる・・・
特に医療への抵抗感がつよく、技術の進歩はときに不平等や不要な苦悩を生む」と思っていました。
例えば事故にあって臓器が損傷した。
以前は希望がなかったが、「臓器移植」という技術の進歩によって治る可能性が出てきた。
しかし、移植は誰にでも平等に受けられる医療ではない。
住んでいる地域や、患者・家族の経済状況、ドナーの有無や医師の技術。。。
色々な要素によって医療格差が生まれます。
医療を受けられなかった患者本人や家族・周りの人は悲しむでしょう。
移植という選択肢がなければ諦めるしかなかった、しかし希望を持ってしまったからこそ苦しみは大きい。
「叶えられない希望」は後悔・苦しみ・悲しみ・懺悔、色々な負の感情を生むのではないでしょうか。
役割分担と、世の中共通での倫理観醸成が必要に。
もちろん私自身、家族や友人・あるいは自分自身が病気になったときには医療の発展を望むでしょう。
大学選択の際には恩師に
「その世界に飛び込んでから根拠を持って否定しろ」
と言われ生物系を専攻し、就職の際には
「最新の医療技術にたよらず、今ある技術を偏りなく受けられる世の中に変えたい」
という思いで、医療偏在問題解消を目指しています。
「世の中的には必要だが、自分自身はそこに人生を捧げられない、だから他の人に任せるべき」
という考えで選択してきました。
今回この本を読んで、改めてその思いを強めるとともに、
「専門家に任せっきりでなく、世の中みんなで倫理観を醸成し、技術を正しく活用できるように監視しなければならない」と思いました。
新たな技術を受け入れることは大切ですが、
それが本当に市民・国民・世界にとってよいものなのかを判断しながら
正すべきところは正さないといけないなと。
・・・大分、本の内容とは逸れてしまったような気もしますが、
気になった方はご一読の上感想お聞かせいただければ嬉しいです。
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