退屈なものとは

先日村上春樹著「海辺のカフカ」(上)を読み終わった。

 シューベルトの音楽を聴く主人公たちの会話にこういう台詞が出てくる。

「この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。そういうものなんだ。」

 なるほどと思った。私は長編オペラを聴く際、必ずどこかしらで寝ている。短編でも寝ている時がある。バレエでも、今でこそ面白がって見ているが、小さな頃はグラン・パ・ド・ドゥがとにかく退屈で早く終わらないかなと思っていた。芸術だけではない。歴史が好きだからとよく行く博物館も、行ったら行ったで「また文字を読むのか」と退屈している。

 だが、見ること、行くことをやめることができない。退屈でつまらないのになぜか毎月といってよいペースで通う。そしてこれを退屈に思う自分を受け入れられず一種の矛盾といらだちを感じていた。

 それは飽きていない、ということか。

 それも一理あるなと思った。

 退屈なものをどれだけ楽しめるかということが分かってくるとより楽しくなるものである。

 今日のオペラでも第二幕で少しばかり寝ていたが、だって退屈だもんね~と受け流すことにした。