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「ぼくのお日さま」の感想文はインスタではやりづらかった、、

ドビュッシーの詩的な曲がこんなに詩的な映画になるのか、と。何度も変奏が出てきてて、原曲を消さずにシーンに合わせて作ってるのが凄すぎる。初めてさくらのスケートを見た時の1回だけで冒頭を覚えてたタクヤは相当この曲にはまったんだな、それもさくらのスケート付きで。一発ではなかなか覚わらないから。
宇野昌磨選手が2018年にベートーヴェン「月光」の方で、2023年にドビュッシーで滑っていたのでフィギュアスケートという意味ではどちらでも、何ならフォーレでも出来るんじゃないかと思いますが、「ぼくのお日さま」はドビュッシーじゃないと成立しない。

子どもと戯れる池松壮亮、似合いすぎでは??
海のはじまりで津野くんにハマった方々は必見、子ども×池松さんを致死量浴びれます。若葉さんはいつもとちょっと違ってひさしにデレてる感じした。アンメットで三瓶にハマった方が観たらだいぶ違和感だけど若葉竜也にハマった方は萌えると思います。笑
ただ結末がちょっとキツいかも……
タクヤは何を言おうとしてたんですかね。「またやろう」とかかなーって願望めいたことを想像しております。

以上はインスタで良かったけど、問題はこの先だった。

帰ってから早速「月の光」を弾く私。
劇中の表現に似せたいけど記憶だけが頼りというのは難しい。多少加工してラジカセの感じを出そうとしたけど機材がスマホである点についてはご容赦ください💦💦

次にあれこれ調べてみた。

主題歌「ぼくのお日さま」(ハンバートハンバート)の”ぼく”
→映画「ぼくのお日さま」(奥山大史監督)
この間に、
ヴァトーの絵画「雅な宴」
→ヴェルレーヌの詩
心情を風景に結びつけていて、あくまで書き表すのは風景。即興演劇用の仮面を身に付けた貴族たちの、華やかな舞踏会が浮かぶ。幸福は偽物、短調の音楽が月光の中へと消えてゆく。

→ドビュッシーはピアノソロの「ベルガマスク組曲」を書き、その第3曲が「月の光」。フォーレは詩に曲を付けて歌曲にした。 
(中原中也とも関係があるらしいので「ゆきてかへらぬ」が余計に気になりますね!)

以上の背景がある。

お日さま……?
月をお日さまに変えたのは主題歌に合わせたからなのかな?
でも何せ冬の北海道。もの悲しい夕日がほとんどだった。
こうして読むと、ひさしは幸せではない、となる。短調のひさしは去って行く。五十嵐にはガソリンスタンドしかない、でもひさしはそうじゃないでしょって彼は背中を押した。
そして、独りどこかへ行ってしまう。その後の行方は分からない。

なおさらタクヤとさくらのその後が長調であってほしいと思える。「月の光」は変ニ”長調”なんだし、ね。


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