短歌20首連作「whisper」
whisper / 石村まい
春の書架 うすいひかりにつらぬかれ翻訳は顔のないひとがする
果てしなくしずかな 湖がほしかった右手にいつも栞を伏せて
まなうらに蝶がいるから惑わせて文字から文字へあかるむ庭を
脚よりも胸から奥へ吸われゆく紫檀の棚の囁くままに
半地下の闇のくぼみに冷やされた蔵書を肺の位置に抱える
泳ぐのにとても似ていた ときどきは表紙に触れて息深めつつ
ひとめくりごとゆるやかな稲光 脳に沈む櫂の昏さへ
銅像のような時間をやめるときあなたが窓に向けるまばたき
理由なく相合傘を避けていて帰り道というながい平凡
腕から手へ血管あおく流れおち西瓜がふっと持ち上げられる
真夜中のあなたの聲はふかい壺 ことばの蜜をさらさら容れて
ワイングラスを傾けながら惑星のどこがもっとも乾いているか
求めてはならないものを呼ぶたびにわたしは黒い果実にされる
澱がこころを巡れば痛い 二人だけのあとがきになるとわかっていても
やぶりたての紙が熱くて手づかみの感情をだれに渡したらいい
捻じり直したキャンディチーズのセロファンの一瞬止まってからほどけだす
文鎮を風のない日に置くようにそれもあなたの正だと思う
アナナスの赤のつよさに近づけば雨にふるえる傷の具象だ
人を生み人をうしなうものがたりその終章の鍵がつやめく
いつかからだはまばゆい白に綴じられる初夏のあなたに読まれるために
(第2回カクヨム短歌・俳句コンテストニ十首連作部門大賞作品)