筋トレとストレッチは万能薬ではない
筋トレが、筋肉そのものが盲目的に、得こそあれど損はない、と思われている風潮を感じます。
腰痛など不調の原因を〇〇が弱いor硬いから、
xxができないのは〇〇が弱いor硬いから、
という話はよく聞きます。
そうでしょうか?
だとしたら、極端な話、筋力があって体が柔らかければなんでもできて不調もないはず・・・。
何もしなくても不調・不具合がない人は存在する
不思議なもので、世には不調のあった人が改善した話や、できないことができるようになった人の声がたくさん聞かれ、何もしていないけど問題なくできる人、何もしていないけれど不調がない人、の声を聞くことはほとんどありません(笑)
でも意外にいるんですよね。運動もしてないのに、不調も不具合もない人。
もちろん、スポーツなどで何かのパフォーマンスを上げたい場合に+αの筋力や柔軟性が必要な場合もあります。その+αを料理に例えるなら、トリュフ塩みたいな、あったらさらにその料理が華やぐような調味料。でも、そもそもの料理が粗末なら、トリュフ塩かけたところでどうにもなりませんよね。
そもそものスタートラインとして何もしなくても不調、不具合がないを目指すのは理にかなうと思いませんか?
筋トレやストレッチに共通するのは・・
それは〇〇を鍛える!〇〇を伸ばす!など、部分的なアプローチ、というところです。
体はオーケストラのように全身がハーモニーを作ることで良い動きが生まれます。どんなに超絶テクニックを持ったバイオリニストを配置しても、他がリズムを合わせてくれなかったり、音程を合わせてくれなければ意味がないのです。逆に超絶テクニックなんかないけれどハーモニーのあるオーケストラが奏でる音楽の方が上質である、という結果にもなります。
筋力トレーニングをする際には全身のハーモニーを尊重しながら行う必要があります。そもそもハーモニーが存在しない、ハーモニーの質がよくないのに負荷をかけたトレーニングを行っている、という方をよく見かけます。筋トレやストレッチのようにハーモニーの練習方法を知っている指導者が少ない、ということも大きいように感じます。
わかりやすい≠効果がある
肩に痛みが起こり(いわゆる五十肩)生徒さんはリハビリに通っているのですが、そこでは毎回、腕の上がる角度を測り、前回との比較をしているようです。
プログレスを数値化することで見えやすくしているのでしょうが、そこに大きな意味があるとは感じられません。
○○°まで上がる様になる、ということが最終目標なのでしょうか?
目標はそれぞれ違うと思います。ですが、おそらく「〇〇が楽にできるようになる」「スポーツなどが自由にできるようになる」「痛みや不快感を感じずに過ごせるようになる」といった、内なる感覚だと思うのです。そして、それは外からは測れない。が故に、数値化できるものに比べるとわかりにくい、と思われるようです。
ただ、外から見えにくく、わかりにくい、内なる感覚こそ質を高める鍵を握っています。
だって数値で測れるものとパフォーマンス(質)が比例するなら・・
筋トレしまくったムキムキでストレッチしまくった柔軟な体であれば、なんでもできて不調もない。
という矛盾を肯定する事になるからです。記事前半で書いた何もしていないのに不調も不具合もない人が存在するのに・・。
筋トレやストレッチが損はない、と思ってやっている方、ぜひ一度ご自身の動きのハーモニーに目を向けてみてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?