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きみはポラリス 三浦しをん
「どうして恋に落ちたとき、ひとはそれを恋だとちゃんと把握できるのだろう」
ウィキペディアには「恋(こい)とは、特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情。」と記されていた。定義上はそうかもしれない。しかしやはりこの小説を読了した今、私は「恋に定義などない」と強く思わざるを得ないのである。
この小説は恋にまつわる物語の短編集である。作中には様々な形の「恋」と名付けられた感情がある。同性愛、片思い、三角関係、不倫、等々…。読めば読むほどその形は様々で私個人からしてみればそれは「恋」とは呼べないのではないか、と思う代物まであった。しかしそれは当然なのだ。恋のような感情は個人の環境やそれによる性格に少なからず影響を受けるだろうし、自分が「これが恋だ」「この人のことを愛している」と思うハードルは人によって全く違う。
その「恋」を定義する価値観のずれから、人々の間で多くの「すれちがい」や「不安」が生まれる。しかし、それらがあるから恋をするのかもしれない。そのねじれのようなものが何ともロマンチックではないか。私は、「恋」という短い単語からこれほどまでに広がりを見せることがなんとも美しいものに感じた。そして、恋の形は多岐にわたるものの、恋と名付けられた感情が、確かに我々の心を揺さぶり、自己と他を結び付けているのもまた、紛れもない事実なのである。
気になる方は是非読んでみることをお勧めする。あなたの定義する恋にぴったり合った物語に出会えるかもしれない。