まほろとマハロが出会う島 1 ーハワイ島に行くまでのご縁と準備ー
ハワイの風がつなぐ縁~書き残すきっかけ~
ハワイの風が加計呂麻島に吹いてた頃、私は大分の日出町にいた。
あの日、「パンケーキ食べたいなぁ」って思って、車内用のカーテン作りは中断。ふらっと入ったハワイの国旗が目印の小さなカフェ。なんとその日は月1のフラの集まりがある日だった。まさかの飛び入り参加で、フラ初体験。その時メンバーが、みんなで「3年後にハワイ行くー!」って盛り上がってて、「私もハワイに行くまでの道のり、書き残したいな」って思い始めたのがこの投稿記載するきっかけ。
なにか、心に響き渡るものがあれば幸いです。
初めてのハワイ島ひとり旅、不安だらけ?
正直、行く前は不安でいっぱいだった。あれこれ考えすぎて、
「不安」の扉を開けたら、もうそのまま不安の道を突き進むしかないって感じ。
「不安だから安心したい!」って思って調べまくるんだけど、
根本が不安だから、どんどん迷子になっていく。今思えば、知らぬ間の沼に入ってた。
だけどね、不安や思考がピークに達して疲れきったとき、意外とニュートラルな状態に戻っているの。そして、不安な心を超えた先には、絶対「大丈夫」っていう感覚が待ってる(もともと持ってる)んだよね
それまでは「英語が聞き取れない」「お金足りるかな」「治安大丈夫かな?」って頭の中が質問だらけ。不安のトンネルは真っ暗のように見えるけど、その突き進んでいるうちに、ニュートラルになって、いつの間にか光に向かっている。不安は通過点の一つだったね。旅を通して、自分の癖が分かったとき。
大いなる『絶対大丈夫』と安心感
「大丈夫」という言葉が浮かぶとき、私の心に思い出されるのは2つのこと。絵描きの谷あんが冗談交じりに言っていた『だいじょうぶっきょう』と、キラキラしたカチューシャつけて門さんが歌う『宇宙の大丈夫』。
どちらもふとした瞬間に私の心に「まほうの言葉」として染み込んでくる。
それに、ハワイという土地で、それは何度も確信に変わった。
「絶対大丈夫」という感覚が、どれほど自分を支えてくれる軸になるのかを思い出させてくれた。今こうしてこの記事を書いているのも、その確信を自分の中に留めておきたいからでもあるんだ。自分=大丈夫 もし大丈夫じゃなくなっても、大いなる大丈夫の感情・感覚を思い出すんだ!
ハワイ島初日の「大丈夫きょう」エピソード その1
行きはZIPAIRという格安航空で成田からホノルルに、
そしてハワイアンエアでホノルルからハワイ島コナへ向かった。
ハワイアンエアに搭乗して、隣の席に座ったのは、まさに「THEマザー」って感じの素敵なマダム。彼女の存在そのものが『愛』で、ほほ笑むたびにその周りに花が咲くような温かさを感じた。
彼女が近くにいるだけで、安心感が自然に広がって、ハワイ上空を飛んでいる1時間、完全に爆睡できた。
日本からハワイまでのフライトでは、なかなか休めなかったけれど、
あのマダムが纏うハワイのベール、「ようこそ~」の光のシャワーを、早速浴びた瞬間だった。
空耳で感じたMAHOとMAHALO
ホノルルに到着して、飛行機を乗り継ぐときのこと。アナウンスを耳にして「MAHO MAHO」と呼ばれ、私のことじゃん、てなったの。でもそれが、二度目にしてようやく「あ、MAHALO(マハロ)」だと聞き取れた。
空耳だったけど、すごく嬉しかったな。
アナウンスの息をため込むMAHALOは「よし、行ってらっしゃい」と背中を押してくれるような感覚で、自然と心も体も軽くなったよ。
ハワイのキーワードが、鮮明に現れた瞬間
2024年、縁起のいいヒフミの日(1月23日)。
千葉県いすみ市を出発した私は、「ミキ」とともに西へ西へと、
白龍の通称銀ちゃんと風に乗ってるように旅を続けていた。
「この先、5月、6月、7月は日本にいないんじゃないかな」なんとなくそんな直感を抱きながらも、ハワイ行きのパズルがピタッとはまったのは、
岡山だった。
そこで起きた一つ、二つのシンクロニシティ。
加計呂麻理恵さんとのご縁で、ハワイ島と日本を拠点にしているニックさんも紹介してもらった。ニックさんから聞いたリアルなハワイの話は、どれも新鮮で心を揺さぶるものばかりで、行かないという選択肢はなくなり、「行く」という氣持ちは、ますます強くなっていったの。
香川の節目と初めての車中泊
ハワイ島への想いが膨らむ中、岡山から鹿児島に向かうまでに、私は香川に住むお友達家族に会いに行くことに。そこでは、手作りのカタマラン(双胴カヌー)の製作が進んでいて、私も帆柱を少し磨かせてもらった。自身の
名前には「帆」が入っているので、今しかないこの貴重な、その手触りや作業させてもらえたことが嬉しかった。
TEBOLO号、かっちょいいな、すごいな、、感動しっぱなし。ちなみに私のバンライフでの車中泊デビューは、ここの駐車場だった。懐かしい。
この海洋交易地は、「ミキ旅」の原点と勝手ながら特別な場所と感じている。その時に、「ホクレア」という名前を初めて耳にしたんだよね。伝統的な航海術の話を聞いて、じわじわと私の中に新しい興味が芽生えた瞬間だった。ある友達は、龍村仁さんの小説を貸してくれたりしたなあ。
鹿児島での出会い ~ニックさんとの対話~
余韻ひたりつつ、香川の後は、数日かけて鹿児島へ。
まるで日本ではないようなセンス溢れるカフェ兼ゲストハウス(ファクトリー)で、ニックさんとの待ち合わせ。
彼の真っ直ぐで芯の通った言葉に耳を傾けたら
「ヒッチハイクは危険」「バンライフは向こうでは厳しい」「女一人だと入国できないこともある」――彼の話すリアルは、私の中にある「日本での当たり前」とのギャップを浮き彫りにし、少し氣が沈むことも。そして、緊張もしていたから涙でそうだった。でも、同時に「聞いておいてよかった」と思えることばかりで、旅の準備、心の準備もいい感じに。
大分で ~『絶対だいじょうぶ』の精神~
次に向かったのは、大分の湯布院の山中。そこには無人島の再建復興を進めている女性みきさんと待ち合わせ。
『ことほぐ』さんという宿で集合し、寒い冬に備えて壁をDIYしており、私もお手伝いしながら、彼女らと過ごした。ミキがミキとリンクすることはよくあるけど、ここでも「ミキ」と「みき」が繋がった。
そして彼女が私に贈ってくれた音/在り方が――『絶対だいじょうぶ』。
その言葉は私の心に静かに、けれど力強く響いたよ。
彼女に繋げてくださったのは岐阜でLIVEミキさせてもらったとき。
まるで海の中にいるような音楽空間を創りだすAsumiさん、あっちゃん!
みんなハワイに縁がるけども、今回お2人方に会いに行って、
対話を通じて、自分の中にも「どちらの世界もある」という氣づきを得た。
外の言葉で表現されることで、もやもやしていたことがよりクリアになり、見える景色が一段と広がったようだった。
そろそろ出発?と思いきや、5月のマイペース
次の旅の準備を進めながらも、私は鹿児島に住む友人宅でのんびり過ごしていた。時にはそれぞれの車でバンライフを楽しみ、好きな場所に車を停めてご飯を作ってシェアする日も。毎日が、私にとって大切な時間だった。
そんな友人のちかちゃんは、私の「ミキ旅」に背中押ししてくれた一人。加計呂麻出るとき、彼女が見せてくれた愛車は、屋根にソーラーパネルが乗り、電気系統やバン内の大工仕事まですべて自作という、驚きの愛情たっぷりの一台だった。今回、彼女のNEWプロジェクト(目の前の海を楽しむためのベランダ改造計画)に私も少し参加させてもらいながら、心に響く彼女の言葉や信念に刺激を受けて、「私もどこまでも行ける」「何でもできる」と、勇氣と希望が湧いた。
ハワイに行く二週間前までにしたこと
「準備は早ければ早いほどいい」とはよく言うけど、
結構ギリギリのライン。特に海外旅行では、心の余裕を作るための下準備が本当に大事だったなと感じるけど、なんとかなちゃうんだよ、結局。
以下は、私が出発前にやったことと、
そこから生まれたエピソードたちを紹介するね。
◯パスポートを手元に用意
まずはパスポート。「海外に行くかもしれない」と思ったタイミングで早めに申請しておくと、氣持ちが楽になる。ネパール行く予定で取得していたんだ。(結局行ってないけど)パスポート申請して出来上がりまでは1~2週間ほどだけど、6か月以内に取りにいけば失効しないよ。1~2週間後の予定ってわかんないよね、だけど6か月以内に取りにいけば大丈夫だから。(ルールが変わってないか確認はしてね)
すでに手元にあるだけで、「準備が1つ整った!」と感じるし、航空券ゲットするときは、パスポートの番号は必要になるから用意しておくといいね。
◯ESTA申請
アメリカ入国の際は、やるべきことの1つ。
どこに泊まるのか、何泊するのか、など――ESTA申請を進めるうえで、これらを明確に記載する必要がある。私の場合、特に英語で尋問されるのは避けたかったから、出発の直前日に、急遽帰りの便もゲット(については、帰りのチケット 参照)し、尋問回避徹底した。申請内容を全部確認し、スクショでも保存。事前準備のその準備が、自分の中の「不安」を一つずつ軽減。
〇航空券購入
無料で快適に行ける方法はないのかなと、思いつつ、スカイスキャナーで検索し、安い航空券、日にちチェック。預け荷物のオプションで値段の変動があり、複数のサイトも比較して、預け荷物のルールや料金の違いも把握しながらチケットを手配。(今回4社をまほ調べしたら、8000円の差が出ていた!)
行き・・成田→ホノルルはジップエアライン
(乗り換え)ホノルル→ハワイ島コナはハワイアンエアにしたよ。
ジップエアラインでは3万円代で行けて、国際線だから、席は広めかなと思ったけどかなり席が狭くて、徹夜明けのような疲労感。足は重く歩いてるのに進まないほど。少なくとも到着後2日はベッドで爆睡していたかな。
ホノルルからコナまではマイルを利用し、ハワイアンエア移動。
機内はハワイエナジーに溢れていたね。
最初から、ハワイアンエアがいいな、とも思いつつこの区間はマイルの関係でショートコースのみにした。
ー帰りのチケットについて
日本を出発する前日、ふと「入国できない」という不安がよぎった。
それで急遽、ハワイアン航空のマイルを使って日本便を手配。
結果的に現地滞在が予定の2週間から2ヶ月に延びたけど、
日にち変更やキャンセルが可能なマイルを選んでいたおかげで助かった。
ただ、ハワイアンエア、帰りの便キャンセルし別日で取り直すときは、オペレーターが海外の方で、チャットも全然つながらなくて、日本人もいない状況。それに繋がったときには切れていて、というのが何回かあった。毎回オペレーターも変わるからその都度コピペしたテキスト貼り付けて、何かあったときは助けて、とキャプテンにもスタンバイしてもらいつつ、の苦戦時間だったし、苦戦中にウエイトレスがコーヒーお代わりいかがってくるの、
今無理だからって、いろんな渋滞がおきていたのも、エピソード(笑)
◯マイルの活用
「マイルを使うなら今でしょ!」ということで、貯めていたポイントを早速移行。使用したのは、現マリオットボンヴォイカード(旧SPG)。このカードでコツコツ5年間ポイントを貯めていた成果がようやく役に立った。ただし、年会費が年々高額になっているのがネックで、退会のタイミングを見計らっている現状・・
それでもこのカードの利便性は抜群(だった)。国内外のラウンジが自由に使えて、フライトの合間にケータイを充電したり、ドリンクを飲みながら一息ついたり。ホノルルラウンジでは、日本人スタッフが在籍。搭乗口の時間や搭乗口までの歩行時間も教えてくれたので、ふかふかソファでウトウト。湿度の高いホノルルで喉が渇いていたとき、ラウンジの水に救われたり。
また、ホテル宿泊が年1回無料(2人まで可)という特典も嬉しいポイント(だった)し楽しみの1つでもあったの。
カードのポイントは期限がなく、40以上の航空会社でマイルに交換できるのも魅力。
しかし、2025年、11月、いよいよ改悪
140万円以上のカード利用で、年1のホテル宿泊が無料・・・・
ナニソノキンガク・・・・な現在である。
◯外貨用クレカ申請と『待つことを外す』教訓
出発の数日前に外貨用クレカ申請。オンラインで完結スタイルもあったけど、届かないリスクを考えて電話窓口のあるものを選択。
ドルをそのままドルで手数料低めで移行できること
現地ATMで手数料低めで下ろせること(今となれば、現地ATMのそもそもの手数料が一回600円とかのところあって、実際のところ はてな)
ほかの外貨にもしやすかったこと、で、そのカードにした。
発行が間に合わないかもしれないという状況で、最初は「まだかな」と不安だった。でも「待つことをやめよう」と意識を切り替えたら、家を出る前日にカードが届いた。このタイミングの絶妙さに思わず笑顔。
ちなみに、ATMからドルを引き出す方法は事前にスクショしておいたのが大正解!引き出しとか英語で書いてあっても分かんないしね。あと、オワフの観光地ATMにはヘンテコ日本語表記のものもあったよ。
◯宿予約
ヒロという響きに惹かれていたけど、コナの方で2週間車付きで、
予約し空港から宿までのお迎えも依頼した。
日本人の奥さんとハワイアンの旦那さんの手作りお宿で、私が宿泊した時も新たに建設していたよ。長期宿泊者(住んでいる)もいたり、新鮮だった。
この宿の魅力は、たくさんあるけど私としてはガスコンロだったな!
おかげで持参した土鍋でミキ作りを楽しむことができて、大満足。