seiko nakagawa
Amebloを15年ぐらい書いてきました。その中から読み物を少し編集しつつこちらに残していきます。
セッションを受けたら変わりますか?治りますか?と聞く人がいる。変わる、治るは本人次第なのでわかりませんとお答えする。自分自身が変えたり、変わったり、治ったりするわけで、わたしが変えたり、治したりは出来ないと思う。そういう事は、本人と見えない世界とわたしの三位一体の共同作業だと思っている。 そういうつもりでなければうまくいかないと思っている。 変えてもらう、治してもらう、と思っているうちは、なかなかそうなっていかないというのがわたしの考えだ。 すべて自分の中に答えはあるとよく
ざっくり説明してみる2022年の初め頃、友人との待ち合わせに向かっている時、いつも通る交差点の名前が「高須神社前」と言うのだけど、もう何年とそこを通っているのにその神社がどこにあるのかも知らないことに気づいた。 交差点を通りながら、注意して見てみると、脇にある公園の中に神社っぽい建物の屋根のようなものが見えて、初めてそこに神社があるのを認識した。車を停めて行ってみるとかなり不思議なところだった。公園の中にオープンな感じで建っていること、建物が普通の家のような作りなのに屋根や
今年最後のマトリックス実践会と忘年会をしました。 いろいろなことがあったこの一年も、静かにに去っていこうとしています。 わたしは、マスコミとあまり縁のない生活をしていますが、 とりあえず毎日のように不景気という話を聞かない日はないぐらい その話題を盛り上げているようですね。 けれども、本当にそうなのか?とも思います。 大変な方も、もちろんおられるのでしょうが、 今日寝る家があり、ご飯を食べて、生きていられたのなら、 別に不自由ではないと思います。
映画「教育と愛国」 https://www.mbs.jp/kyoiku-aikoku/ 十三の第七藝術劇場にて鑑賞した。 ネタバレはしないよう気をつけながらレビュー書こうと思う。関係者のインタビューや発言をただ淡々と綴った映画だ。唯一の救いは井浦新さんのナレーションの声であった。 正直、ここまで政治が教育に入り込んでいるとは思わなかった。もし私に子供が居たらどうするだろう? こんな学校なら行かなくていいと思うのだろうな。 子供を持たないと決めたのは高校を卒業した頃だった。
見えない世界オタク 見えない世界は見えないからほんとにあるのかどうかがわからない。いつか誰か偉い先生が「科学的にw」証明してくれるのかも知れない。 今の科学や物理学と言ってもわかっていることよりわからないことのほうが多いと思う。それどころかまだわかっていないことが何かもわからないんだろうと思う。 ややこしい話になった(笑) 見えない世界ってたしかにあって、電波とか電気とかって見えないし、テレパシー的なことを感じたり、シンクロという偶然が起きたり、体験している人も多いのではな
気付いてないことに気づく。 昨日聞いたヒント。
夜中の3時頃帰宅して4時ごろ就寝。寝つきのいい私はすぐに深く眠った。公団住宅のすぐ横を阪神高速が通っている。大型トラックが道路の継ぎ目を通るたびゴットンと音がして10階の部屋はひどく揺れて夜中に目を覚ましたのも最初だけ。長く住むうちにそれにも慣れていた。 ゴットーンと部屋が揺れ、えらい大きなトラック通ったんかなー、と意識の奥で考えてると部屋がグラグラと揺れて、寝ている足元の本棚の上のものが降ってきた。多分地震だと気付く。木製の大きなスライド式本棚には本がびっしり入っている。こ
一般用医薬品のネット販売の継続についての署名 楽天市場の死活問題も絡んでいるからということもあると思うけど、主旨には賛同したいと思う(※すでに署名は終わっています) 全体を見渡していて思うのは、マスコミや政府や既得権益のある企業は なんとかしてネットを悪者にしようと躍起になってるように思う。このご時世何を買うにもネットの方が安くて届けてくれるし都会の真ん中に住んでて目と鼻の先に売っていてもネットで買っているものもいっぱいあったりする。すると今まで消費者の足元を見るような商
10年ぐらい前に、古事記や言霊などにすごくはまっていた時期があり、いろいろな神社の話、神さんの話、そこから始まって、やがては、大本教、ほつまつたえ、カタカムナ、ほか、いろんな本を読みあさっていた頃を思い出しました。 もうほとんど忘れたけど(笑 今日はマヤ歴で言うと青い嵐-白い鏡ですから、まあ、古い事に触れる日でもあり、またそれに火が付く日でもあったわけです。 知識はないよりはあった方がいいと思うのだけど、知識にとらわれてしまうと、本質が見えなくなりますね。知識を情報と置き換え
自分はこんな人間、と自分で思っていても実はそうではない自分も居る。そうではない自分に、気付かない。 嫌な面を沢山持っている。ネガティブ自分、みたいな影の存在。 人の事を心配したり世話を焼いたりしているつもりでも、実は点数を稼いでよく思われたいという気持ちが潜んでいたり、自分を認めてもらいたいという気持ちが潜んでいたり、誰かの事や何かを忘れるために、誰かを好きという気持ちにすり替えていたり、自分がちゃんと扱われていないという思い込みでいっぱいになり相手の事を信頼していなかったり
Ameblo 2009-02-18 02:42:34 最近、わたしの周りの人たちに、いろいろと顕著な変化があったりして、 それを見ていて、思う事を書こうかと思います。 知り合う人たちは、最初、わたしのワークショップだったり個人セッションだったりをきっかけに知り合うのだけど、ある程度定期的に、いろんなところに参加してくれる人とは、わたしの場合は、超個人的~準個人的なおつきあいになっていく事が多いのです。 最初は、ワークショップの参加者、個人セッションに来て頂いた方というきっか
知っている人は知っている(笑)「筋トレ」メールマガジン 1月31日(土)のメルマガより引用。 「もともと、このサイト(筋トレ)は、趣味でやってるのです。 趣味のサイトです。 雑誌やwebサイトの記事を頼まれたりとか、レクチャーしたりとかしてるうちに なんか星占いが「仕事」っぽくなってきて(いや、仕事なんですけどねそれは)筋トレというサイトがほんとは趣味のサイトだったということを忘れかけてました。 基本に戻らねばなりません。 とはいえ、星占いにかまけてるうちにいつの
今朝、昨日の日記をもう一度読み直してみたら、いろいろな事を感じた。 わたしは周りの人の期待に応えるために生まれてきた訳じゃないし、ましてそのために生きるというのも違うと思う。しかし、生まれたときに親の保護なしでは生きられないために、親に見放されないために期待に応えようとする。そして、人の事を考えて行動するとか、人の事を思って行動するとか、 人のために何かをする、とか、そういう風に教えられて育つ。 それが悪いわけではない。人の事は考えた方がいいし、人への思いやりも大切だし、
わたしが好きな忌野清志郎というミュージシャンが居る。 彼は、2006年ガンで入院して、2007年に退院、 そして、今年の春、完全復活を宣言、 ツアーやコンサートを再開していたが、また再発し 現在入院中だ。わたしは、彼がRCサクセションを始めたばかりの アコースティックだった頃からのファンで、 1970年代の終わり頃から大阪のライブハウスで見ていた。 お客が10人ぐらいしか居なかったような時代があった。 毎月か隔月ぐらいライブがあり、確か、桑名さんがやっていた ライブハウ
この季節になると、必ず書きたくなる事がある。10月14日は、パーフェクトハーモニー研鑚会創始者、山岸隆氏の命日である。 普段はあまり、もうパーフェクトハーモニーの事を思い出す事も少ないのだが、この日が近づいてくると、なぜか、山岸隆氏の事に関連した事を思い出したりする。 2006年10月14日は雲州堂ジョイントセッションの日で2007年10月14日は東京のMMエナジークラブで正に、エネルギーでの頭蓋仙骨調整法を教えていた。今年の10月14日は、わりにぽけーっと過ごしていた。
※去年5月頃ブログに書いた記事です。 神社や神様というのも、単なる装置であり人間が作ったもの、仏だとか、大いなる存在、ハイヤーセルフ、いずれにしても、言葉で表現されているものはすべて、人が考えたもので、人が作ったものだ。 それらは、メタファーであり、スピリチュアルとはファンタジーだとわたしは思っている。 わたし達は意識を使ってこの世界を作っている。 故に、今目の前にあることも、あるのかないのか、本当はわからないことで、実にリアルな夢を見ているだけなのかも知れない。