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変わるという事について考えてみた

Ameblo 2009-02-18 02:42:34

最近、わたしの周りの人たちに、いろいろと顕著な変化があったりして、 それを見ていて、思う事を書こうかと思います。
知り合う人たちは、最初、わたしのワークショップだったり個人セッションだったりをきっかけに知り合うのだけど、ある程度定期的に、いろんなところに参加してくれる人とは、わたしの場合は、超個人的~準個人的なおつきあいになっていく事が多いのです。
最初は、ワークショップの参加者、個人セッションに来て頂いた方というきっかけでも、5年、10年というつきあいになっていきます。
お仕事上のお客さんという事だけでなく、つかず離れず、なんとなく続いていくのです。行き詰まったら、イベントに来て下さったり、個人的にお会いして話したり、って感じで、一人一人の方との、いろいろな思い出があります。
長いつきあいの中で、みんな、最初に出会った時からすれば嘘のように、変わって行かれます。本当の自分を見出していったり、本当にやりたい事に気付いていったりされていい顔になり、いい雰囲気になり、いい人生を歩きはじめられます。その変化を、横で見させて頂くのは、本当にうれしいものです。だんだんと自由になり、やがて羽を広げて飛び立っていく、それを見送るのが、わたしのライフワークなのかとも思ったり。
この仕事を始めて、いつだったか忘れたのですが、「本当に変わる人だけに来て欲しい」と願ったというか、そういう人だけがわたしの元に来るのだと自分で決めました。
すると、お客さんが激減(笑)しました。でも、おかげさまで、いい出会いが増えました。
わたしのところに来る人は、転機のタイミングで来られると思います。
わたしに出会って、仕事を辞めたり、人間関係が変わってしまったりする方がとても多いのです。そして、本当に自分がしたい事に出会い、自分の人生を生きるようになられる気がします。

でも、わたしが変えるわけではありません。
あくまで、本人が変わっていくだけです。
わたしは、ただのきっかけを与える役割なのだと思います。
そのきっかけを与えるというのもわたし自身がしているわけでもなく、どこからかの指令を、お伝えしているだけに過ぎません。
せいぜい、通訳者ぐらいの役割なのでしょう。
セッションを受けたら変わりますか?治りますか?とよく聞かれますが、
変わる、治る、は、本人次第なので、わかりません、とお答えしています。
自分自身が変えていったり、変わっていったり、治っていったりするわけで、わたしが変えたり、治したりは出来ないと思うのです。
そういう事は、ご本人と見えない世界とわたしの三位一体の共同作業だと思います。そういうつもりでなければうまくいかないと思っています。そうお答えすると問い合わせの後来られる事は少ないです。
変えてもらう、治してもらう、と思っているうちは、なかなかそうなっていかないのでは、というのがわたしの考えです。
すべては、自分の中に答えがあります。
その答えを引き出すやり方は、なかなか、素人では難しいのだと思います。
わたしは、我流でそれを自分自身やってきたと思うのですがずいぶん遠回りや、効率の悪い事をして、それがいい経験になりました。
だから、それをお伝えしていきたい、また、そのノウハウを個人セッションに生かしていきたい、と思っているわけです。

たとえば、身体に不調があるとします。
身体が曲がっているとします。
曲がったものはまっすぐにすればいいじゃないか、と
身体を調整するのも一つのやり方ですが、曲がるには、曲がる理由があります。 曲がっていなければならない事情があるのです。それを、物や機械を修理するように、物理的に治しても、曲がっていなければならない事情がなくならない限り、また曲がります。曲がっては目先で治すというという事を繰り返すと、曲がる事が出来なくなった「事情」は、また、別の形で他のところに出てくるでしょう。
身体が曲がり続けられなかったら、内臓に出たり、精神的な不調に出たり、あるいは、不都合な出来事となって出る事もあります。
わたしはきっと「事情」探しの旅のお供をするのだと思います。
いろんなメッセージをお伝えしたりしながら、本人が変わっていく事、治っていく事に、ただ立ち会い、そのために必要な、その方の持っている答えを、翻訳してお伝えし続けるのだと思います。
本当に根本のところで解決したら、すべて変わりますし、二度と元に戻る事はありません。もしもまた違う不都合が出たとしても、次は自分で対応できるようになるでしょう。

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seiko nakagawa
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