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手放した先に、あたらしい私と出会えた。

みなさんこんにちは、真穂です🌺

なんと4ヶ月ぶりのnote投稿となり、ご無沙汰しておりました。
みなさんお変わりありませんか?日本は季節の変わり目で気温の変化がありますが、体調などいかがですか?

今、私の住んでいる地域(日本)では雨が降っていて
温かい飲み物を飲みながらパソコン画面に向かっています💻🍵

今日に至るまで、それは本当に多くの変化や目まぐるしい生活を送っていて
その日々を生きることに精一杯でnoteでアウトプットできていなかったけれど、
さっき「今ある感覚や新鮮な学びを届けることが誰かの役に立つかもしれない!」というアイディアが降ってきたので、それに従って私の中にある経験や想い、気づきなどを書き起こしています。




大好きなおばあちゃんとのお別れ。


簡単に、今日に至るまでのライフストーリーをシェアすると、
11月頭に約7ヶ月就労したニューカレドニアから帰国、1月頭から3月末までずっと暮らしてみたいと思っていた京都に念願叶って拠点を置き暮らしていた。
京都暮らし、仕事は3個掛け持ちの日本語教育の学校も週に2日(だけど、毎回授業をするからその準備に追われてた🐇)あったので、てんてこ舞いだったけれど
本当に濃厚で素晴らしいご縁に恵まれ、幸せだった🌼

そして京都暮らしを振り返る間もなく末期癌闘病していた祖母の元へ。
介護をしていた祖父と家族のサポート、そしておばあちゃんのそばにいるために
約1週間フルコミットした。祖母は、祖父や子供達(父兄弟)みんなに囲まれて4月頭に天国へ旅立って行った。
最後はもうほとんど意識のない状態で、手を握ったり身体をさすったり、家族と交代で昼夜そばにいることしかできなかったけれど、
それでも生まれてからずっとお世話になって、それはたくさんの愛を注いでくれた祖父母のためにいることができたということ
そして、初めて身近な人の命を看取るというそれは奇跡のような経験ができたことは私にとって人生最大のギフトだった。

身体の痛みを絶えず訴えていた祖母。
「魂になってやっと楽になったかな、本当に今日までお疲れ様でした、繋いでくれた命を大切に生かさせていただきます。」
もちろん悲しい気持ちもたくさんあったけれど、こんな想いで見送りました。

祖母が亡くなった日、お風呂に入っていた時に受け取ったインスピレーションから生まれた
孫〜ズ「おばあちゃんとの思い出ノート」
中身はこんな感じ。大好きだったどら焼き入れてあげた🩷
私の兄弟は大学生以上だけれど
他4人のいとこは小学低学年〜高校一年生。
とても貴重な彼らの思い出をとっておけるように🕊️

突然ですが、ここでちょっとした告白を。

私には父との3年以上にわたるトラウマがあった。
しかし、祖母との別れ(祖母)はそのトラウマを完全に癒す機会を与えてくれ、この出来事は私にとって大きな人生の節目を意味するものだった。


「トラウマってなに?」
私も心理学の専門家ではないから上手く伝えられないけれど、ある出来事(2021年頭)がきっかけで子供の頃(私の場合は小学生1、2年の時)の記憶が強くよみがえって、「これが私を苦しめていたんだ!!」と気づいた瞬間があった。
それは、私の人生において低い自己肯定感や自己価値(存在)否定、家族との不調和を生み出していて、
これに気づいてからずっとずっとずーーっと世にオープンすることなく
向き合いヒーリング(癒し、トラウマの解消)プロセスに取り組んできていた。

いつかnoteや他のアウトプットでみんなにもシェアできたら、私の経験が誰かの希望になるかもしれない。という気持ちはあったけれど、
こんな私情をシェアしたところでみんなにどんな価値があるの?と思っていたし、
完全にheal癒されていない状態だったから、シェアしていたとしてもいいエネルギーのものであったかは定かではない。

…いや、唐突すぎるし抽象的すぎるし、ついていけないよっ🥺

そんなツッコミがみんなの心に浮かんでるのが書いてる私もすごく感じる 笑
私も、とてもこの一つのnote記事ではまとめられないほどのhealing journey(トラウマ解消されるまでの過程)を辿ってきたから、
全くこの気づきをここで受け取ってもらえるだろう、とは思っていない。

今回はラフに、真穂の人生に大きな節目があって、それはトラウマの解消もあったのね〜☁︎くらいの軽さで受け取ってもらえたら🙏✨

(というより、ここまで私のlife journeyのシェアを受け取ってくださっていること自体が奇跡で深い感謝しかありません。いつも本当にありがとうございます。)

今後何か別の形で、私個人の経験としてのヒーリングプロセスのシェアではなくて
みんな一人一人のpreciousな人生に、ダイレクトに役に立つようなアウトプットがしていけたらと思っています🪷


心に従って戻った、ニューカレドニア。彼との別れ。


祖母のお葬式が終わって、その週末には私はニューカレドニア行きの飛行機に乗っていた。(大学時代にとてもお世話になった友人に助けられ見送られ出発した。本当に心の底からありがとう🌷)

1月から3月まで、それは本当に心も時間も余裕なく京都で暮らしていた頃に
「ニューカレドニアエナジーが必要だ🥲」と自分の心に従ってとった飛行機のチケット。🎫
とった当時はものすごく葛藤があって、彼にも誰にも相談せずに夜中の2時までとことん自分に向き合い"Why I'll go back to New Caledonia?"を追求した。

4月半ばから、約2週間の滞在。
目的は彼と再会するため、心の休息、そして次なる挑戦のbaby steps👶🏻を踏むための自己投資として。

だけどこの2週間休む暇もなく、さらに大量の人生の氣づきを受け取って
しまいには、約1年間お付き合いした彼とお別れをするという怒涛の変化
を経験していた。

もう、何からシェアすればいいのか書いていながら整理がつかないけれど
今言えることは、
ニューカレドニアに戻るという選択も、彼とお別れする(私が彼にお別れを伝えた)という選択も、
全てが自分の本当の心とつながったright choiceだったということ。これに尽きる。

頭の選択ではなく、心の選択をして、それがあたらしい私に出会うために必要なプロセスだった。

「いやいや、日本に住んでるんだからバカンスとかないし4月中旬ってみんなめちゃ働いてる時期やん」
「この飛行機代どうするんか」
「過去のコンフォートゾーンに戻るために行くんやないか」


「こんなに愛を与えてくれて、優しくて、かっこよくて、素晴らしい彼を手放しちゃうの?」
「お互い好きならもう一度よりを戻してやり直そうって伝える方がいいんじゃないか」
「彼と付き合い続けたら、もっといい未来が待ってるんじゃないか」
どんなに頭で考えても、心の選択には嘘がないんだということを実感している。

特に、彼に別れを告げてから心が無になって、自分でも驚くくらい「ごめんなさい」と「ありがとう」しか彼にかける言葉が浮かばなかったのは、
「心の選択」を見させられた瞬間だった。

その後も様々私たちの間では議論があってそれはもう沢山のことを学んだのけれど、長くなりそうなので今回は割愛します。


彼は私の今までの人生でもキーパーソンであったからこそ、こういう終わりを迎えてしまったのは残念で少しの間心と向き合う時間が必要だったけれど、
彼のためにも、そして何より自分の真の人生歩んでいくためにも、今ここ、前を向いて着実に進んでいこうという気持ち。


ヌメア、アンスバタ。去年はサメの大量発生で泳げなかったけれど
今年は海が開放されていて人々で賑わっていた🌊
なんとサンゴ礁に覆われていて波のないニューカレドニアに、サーフィンスポットが✨
サーフィン少しできた🏄🏻‍♀️
去年一緒に働きお世話になった素敵な日本人女性と💛
海を越えても、彼女の存在にいつも励まされている😌


まだまだご縁が繋がっているニューカレドニア、また戻る日まで進化していこう🌺


ここまで大変長らく読んでくださり、ありがとうございました🙏
noteには結構ディープな私的なことを書いてしまっているけれど…
こうして感じたことや経験したことを言語化できる場所がありがたいし、まして読んでくださる皆さんがいることが嬉しいし、学んだり気づいたことをシェアすることで、皆さんの人生にもちょっとばかしの幸せスパイスを届けられればと思っています。

受け取ってくださりありがとう。また書きます!

Love,

Maho

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