花束みたいな恋をした 感想
どちらかというと恋愛映画は苦手なほうだ。私は、後味の悪い鬱映画を観て救いのないエンドに落ち込むのが好きなのだ。しかしこの作品は坂本裕二脚本ということもあり、公開して間もない頃から是非観たいと思っていた。
ただ、周りから「泣けたよ!」とか「グサグサくるよ!」と聞いて、映画館で泣くのはちょっとなあ。化粧落ちるし…。と、迷った末に結局劇場に足を運ぶことはなかった。
家でならどれだけ泣こうと誰にも迷惑をかけないので、昨日Apple TVで509円払ってレンタルしました。
舞台は東京。サブカル好きな大学生同士が、出会ってから別れるまでの5年間が描かれている。
これだけ聞くとありきたりな恋愛映画だが、天竺鼠、ゼルダ、ゴールデンカムイ、パズドラ、新海誠など。ストーリーの中で架空ではなく実在するカルチャーの固有名詞がバンバン出てくる。
そのため時間の流れがリアルに感じられ、まるで麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が実在しているかのよう。
そしてふたりの生活には、必ずカルチャーが存在する。この山ほど散りばめられたカルチャーに、誰しも何かしら共感してしまうのだと思う。
とはいえ出会った日と別れの日の描写が3分の1ほどを占めるのだが、私は物件を決めるシーンがとても好きだ。NANAを彷彿とさせる。
多摩川が見える部屋。調布駅から徒歩30分。決して利便性が高いとは言えない場所で、ふたりは不自由をも愛していた。フリーターでお金のない二人にとって、不便な住まいこそ自由の象徴なのだ。
誰しもが経験しうる平凡な恋愛なので、過去に長く付き合った恋人がいる人にはきっと大体刺さると思う。
過ぎてしまった遠い昔を思い出し、眩しくも懐かしく、そしてどこか羨ましいと感じるこの気持ちこそ、“エモい”と呼ぶのだろう。
何か決定的な出来事があったわけでもないのに別れている以上、ハッピーエンドではないはずなのに、爽やかで柔らかいラストだった。
カルテットや大豆田と比べると登場人物のクセはない。
しかし、抑揚の無い日常の連続を細やかなセリフで見せてくれ、肝心なシーンでは目線や表情など映像そのものが物を言う。そんな坂本裕二らしさはしっかり感じられた。
また、タイトルについては、平凡な日常でも1日1日を丁寧に束ねていくと、いつか振り返ったとき花束みたいに飾っておきたい大事な思い出になるよ、と解釈する。
最初は綺麗だけどいつか枯れるぞとか、そんな安っぽいメッセージにしてしまうのはもったいないので。