私、ヲタク先生。【14】
専門学校に行ってみた
どうせ、文の道に進むんだったら、専門性を身に付けないといけないよね、と思い、私は小説コースのある専門学校を探した。
まず最初に見つけたのが、最王手の代々木アニメーション学院(通称代アニ)
ここでは2年間の修行でいいみたいだけれど、東京に住まないといけなくなる。東京に出る勇気は私にはまだないみたいだ。
もう一つが福岡デザイン&テクノロジー専門学校(FCA)。
ここは3年間も行かないといけないけれど、その分応援してくれている気がした。
私はふと、自分の年齢とこれから入るであろう収入を考えて計算してみた。すると一年くらいは何とかもつことができるという計算だった。でも、専門学校なので学費がかなり高い。
それに、私は24歳。
専門学校は基本高校卒業した子達がやってくる。
夢を持つのは遅すぎたのかな。
でも、私にとって最後の希望なんだ。
たしかに、教育の世界はとても素晴らしかった。子ども達に教えていくことのやりがいや、仕事を任されているという充足感はあった。
子ども達から励まされることは何度もあった。
けれど、それでもまだ、私は怖いんだ。
教壇に立たなきゃいけない、子ども達のトラブルを解決しないといけない、保護者との関係性を保たなきゃいけない。
全てがまだ怖いんだ。
慣れていけば大丈夫、なんて声もあるけれど、
毎日のように朝ご飯を吐いていた頃
何もなくても泣きだしてしまっていた頃
理由もなく脱力してしまっていた頃
あの日々に戻れと言うのですか。大好きだった物語やアニメにも手がつかなくなり、ただ家と学校を行き来するだけの毎日。
少しずつ恐怖がなくなってきたとはいえ、それは喉元過ぎれば熱さを忘れる、といった感じ。
私にとって、あの日々の感覚はいつまでたっても消えはしない。
専門学校には、たくさんの仲間がいる。友達はつくれそうにないかもしれないけれど、私のやりたいことはひとまずできるんじゃないんだろうか。
帰り道、母が言うには
帰り、大雨が降っていたので母が迎えに来ていた。
「お母さん、がっかりした。あなたまだ治っていないのね」
へ?
理由は、学校についてからのラインのメッセージ。母はまだ私が専門学校に行きたい、というのを話半分にしか聞いていなかった。
私はそこで、思いのたけを思い切って書いてみた。言葉では上手く行かなかったけれど、そこは三文文士、ラインなら書けると思ったんだ。
「全部だめだったら、自力で通うよ」
「大学はお母さんに学費を全部出してもらったけれど、
専門学校は私の勝手」
「お母さんやお父さんの期待を裏切って何もできなくてごめんなさい」
「”普通”の先生になれなくてごめんなさい」
「”普通”が何かも分からなくてごめんなさい」
「お母さんたちの期待を裏切ってばかりでごめんなさい」
「こんな子供でごめんなさい」
「専門学校に行くことが、私なりに出した答えの一つだよ」
この言葉を見て、お母さんは「この子はまだ鬱を治していないのね、あまりにもネガティブでがっかりしたわ」と思ったんだろう。
どこがネガティブなんだろう。
確かに、専門学校に行くのは逃げの一つかもしれない。でも、私のやりたかったことなんだ。
これも、ネガティブだというの?
「何のために半年休んだの?」
とも言っていた。時間の問題じゃないんだ。それこそ、時間の問題なら、私の幼い頃からの積み上げてきた物が一気に流れ出ただけなんだよ。
幼い私が親の期待を裏切らないように、そして裏切ってしまってきた絶望や、諦観、それらを全て飲み込まないといけない。
母は私を褒めたことあったっけ?
私が褒められてきたのは、この文の世界だけ。逃げ込んでしまうかもしれない。世の中の人には広められないかもしれない。
それでも、私は文を書きたい。
もし、専門学校に通うことになったら私はきっと、親との溝を深めてしまうかもしれない。でも、これが私の独立への一歩なんだと思う。
子の将来を案じるのも親の務めかもしれないけれど、子の可能性を信じるのも親の務めなんじゃないかなと思った。
私は、専門学校への受験票を書いた。
私にとって何が最良の道かは分からない。でも、これだけは分かる。
「後悔だけはしたくない」