短編小説 幸せは不幸に支えられている1/4
幸せは不幸せに支えられている。
そうした不安定さをどうしても受け入れられない時がある。その人はそう思わざるを得なかった。幸せな瞬間。頭の中でイメージを膨らませてみる。
暖かな暖炉の前で揺れる炎を見つめる瞬間
爽やかなビーチで風に吹かれる瞬間
そうだろうか。本当に?
そんな抽象的なものではないのかもしれない。だが、もしそれが幸せだとして、それが幸せに思えるのはなぜだろう。そこでやはり初めの考えに辿り着く。
答えは単純だ。
そうではない瞬間があるからだ。
その人はそんなことを考えながら、ようやく神保町駅のA1出口に辿り着いた。三田線で神保町駅に着くと、A1出口まではだいぶ距離がある。地下鉄にはつきものだ。目当ての駅で降りる。乗り換えを試みる。1.5駅分くらいあるのではないかと思うくらいの距離を歩かざるを得ない。そういう仕方なさを受け入れなければならないのが東京だ。いや、そうと言い切れるかはわからない。おそらく述語が大きすぎる。
と、またも頭が一人でおしゃべりを続けていると、少々道に迷った。うっかり目的地の反対側に歩いていたようだ。神保町駅には明治大学の和泉キャンパスに向かう方向に三省堂書店があった。ただとりあえずとても大きいという単純な理由で(そこは深くは考えがないのだ。それがその人にとっての美点であり、それでいて汚点であった。ほら、やはり万物の事象は表裏一体なのだ、あの人はこちらを見て満足そうである。「万物の事象」と言う言葉が使えたて満足そうなのはこの人が知っている。)
そう、それで三省堂のことだけれど、最近改修工事に入ったらしい。それが理由で最近そちら側には用がないのだ。だから、その人は反対側に歩みを進めるべきだった。それなのにこちら側に来てしまった。特に理由はない。と、その人は思いたかった。しかし、そういうところには深く考えてしまうのがその人だった。
大抵の場合無意識にやっていることには潜在的な欲望が見え隠れしているのだ。その人は本屋に行きたかったのかもしれない。でも違うらしかった。そんな理由は単純すぎるから。その人にとっては違うのだ。だから、おそらくその人があまりそう思いたくないもっと潜在的な欲望が、本当の理由なのだ。(続)