なぜ他者に伝えようとするのか?
現在の現代詩界隈の文壇が一体どうなっているのか全くわかりません。なので久々に、かつて読んだり書いたりしていた雑誌でも購入してみようと思います。お世話になっていたあの方々は、今どうしているのでしょうか?
フリクションというバンドのレックという人が、概略、次のようなことを言っていました、即ち、「ミュージシャンは音楽が好きであるあまり変な方向に行ってしまうことがある。音楽が好きということであるならば、一人で演奏していればよく、あえて人前でやる必要もない。ステージに立つ意味など、一度しっかりと考えてみないといけないのではないか」、と。
僕の知り合いで小説を書いている人がいるのですが、それを絶対に公表しないと言います。一切の批判を拒否するためだそうです。
先日僕は「イメージをイメージのまま伝えられたら大成功と思うようになった」といったことを言いましたが、そもそも何故、書いたものを他者に伝えようとするのでしょうか。フリクションのレックの問いは、ミュージシャンに対してのみならず、作家や詩人、更にはSNSやブログ等に投稿をしている人など、不特定多数の者に対して自らの表現を発信するあらゆる全ての人々に対しても同様に向けられていると思います。そこを可能な限り掘り下げていく作業が、いつかどこかで必ず必要になってきます。公に向けて何らかの表現をし続ける限りは。
そもそもその作業を行うか行わないかということ自体が、表現の主体の性質を大きく二分することになるのだと思います。本当の問題はそこから先なのです。