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刑法にいう「構成要件」は実体法上の犯罪成立要件から外すべきか?〜鈴木茂嗣「犯罪論の基本構造」の衝撃。

鈴木茂嗣先生による犯罪論の体系についての論文などを読んでいるのですが、脳内に衝撃が走るほどに物凄いものでした。

犯罪論の体系については、以下の流れが一般的な「常識」となっていると思います。

通説的な犯罪論の体系は、

「構成要件」

「違法性」

「責任」

という流れで検討していくものとされています。

それに対して鈴木説では、

「違法論」

「責任論」

「当罰論」

「犯罪類型論」

このような体系で実体論(刑事実体法である刑法における一般的な犯罪成立要件)を考えることになります。

ここで「実体論」といったのには理由があり、鈴木説では、この実体論に併せて、「認定論」的な視点による犯罪論の体系が考慮されるのです。

すなわち鈴木説では、実体論的に犯罪が成立するための体系が考えられると共に、認定論的に、すなわち刑事訴訟法上どのような体系で事実を認定していくのか、という点が重要になってくるのです。

ここで、鈴木先生の論文から引用してみます。

「刑事訴訟法では、①それが認定できれば、特段の事情のない限り犯罪の成立を認めてよい『罪となるべき事実』と、②罪となるべき事実が認められても例外的に犯罪の成立が妨げられる『犯罪の成立を妨げる理由となる事実』を対置するという基本的態度をとっている(刑訴335条参照)。後者を犯罪の『阻却要件事由』ないし『阻却事由』(に該当する事実)と呼ぶなら、前者は犯罪の『構成要件』(に該当する事実)と呼ぶのが妥当であろう。」
(「犯罪論の基本構造」p.201)

このように、鈴木説では「構成要件」とは、認定論、すなわち刑事訴訟法上「罪となるべき事実」を認定するにあたっての最初の枠組みという位置づけになっています。通説のように、実体論上の問題とは考えないのです。実体論上の犯罪成立のための諸要件と認定論上の諸要件は密接に関連するものですが、理論上犯罪論を、実体論と認定論にわけて、二元的に考察していくことになります。

鈴木説では、刑法上の行為であることを前提として、実体論上まず最初に違法論について検討していくことになります。

このことに関連して、団藤重光先生のこの一文を引用してみます。

すなわち、

「ある社会的事象は、構成要件該当の判断を受けるとき、はじめて刑法的な意味の世界に立ち現れることになる。定型的・抽象的に構成要件に該当する行為がかならずしも具体的に違法・有責とは限らないが、逆に定型的・抽象的に構成要件に該当する行為でないかぎり、それが違法・有責であるかどうかを問題とする余地はない。」
(団藤重光「刑法綱要総論(第3版)」p.122)

このように述べられています。
通説的な見解がまさにこの文で表されていると思います。

鈴木先生は、この論に対して、「犯罪の認定論と実体論の混淆がみとめられる」として批判されています。

鈴木説の根本的な問題意識がまさにこれなのです。

この観点からすると、実体論的には、「違法・有責・当罰的で、犯罪類型に該当する行為」と判断されるものが犯罪であると定義されます。

そして認定論的には、犯罪とは「犯罪の構成要件に該当し、阻却事由の存しない行為」という定義になります(これについては、何故そうなるか等、改めて書いてみようと思っています)。

論理的整合性を突き詰めていけば、この論点は、恐らくこの鈴木説になっていくように思えます。

鈴木先生は、もともと刑事訴訟法がご専門という経緯もあり、刑訴法(手続法)から刑法(実体法)を見るというその視点が、論理的な鋭さを生み出しているように思います。

鈴木説について、まだまだ理解に至る途上ですので、これから更に学んでいき、少しずつでもnoteに記そうと思っています。


それでは今回はこの辺で!




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