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共同体と共同体の間の深淵。

先月はやるべきことが普段の+αあったので、かなり疲れてしまいました。
その+αが結構な負担になっていたので、9月からはのんびり伸び伸び!になるかと思っていたのですが、特にそういう感じではありません。

そんな9月ですが、今日はゆったり豊かな気持ちで過ごすことができました。
午前中にやることの大半を済ませたので、午後からはのんびり。久々に趣味の読書を楽しむことができました(今も読んでる)。

何を読んでいるのかというと、2002年7月に文藝春秋から刊行された本の文庫版です。タイトルと著者は『日本精神分析』(柄谷行人、講談社学術文庫)です。これは2007年6月に出た文庫本です。

「下部構造が上部構造を規定する」という考え方がありますが、この公式からでは、正確に国家や社会のシステムが見えにくくなります。
この公式からすると、例えば資本主義的生産様式は下部構造、国家システムは上部構造に位置付けられます。下部構造の経済システムが、上部構造の国家システムを規定すると考えられています。

しかし、国家と資本主義的生産様式は容易に切り離せないほどの強度で繋がっていることを考えても、単純にこの公式に当てはめることはできないように思われます。国家システムもまた資本主義的生産様式と切り離されないような形で、下部構造に配置されるものだといえます。それが人々の思考様式や行動様式を規定しているといえると思います。

どちらにせよ、このような枠組みの中だけで考えていると、必ずどこかで行き詰まることになるように思われます。

この点、柄谷行人は一貫して「交換様式」から社会や歴史を見ることを提唱しています。
詳しくは柄谷氏の各著作を読んでいただくことにしたいと思います。

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商品が売れるかどうか、もっといえば、「その物」が「商品」になれるかどうかは、共同体と共同体の間を「命がけの飛躍」を行い、それが成功するかどうかにかかっています。
この「命がけの飛躍」が達成されないと、その物は使用価値すら有していないことなります。

このような、共同体と共同体の間を命がけの飛躍でもって「この物」を「商品」にすること、つまり「G−W−G‘(G+⊿G)」、この流れを辿らなくては、何も達成できなかったことになります。

この理はコミュニケーションについても同様で、それは共同体と共同体の間において行われる命がけの飛躍に他ならない。同じ共同体内部でのやり取りは、それは独白でしかありません。

人は無数の共同体に属していますし、一つのテーマについて語り合うことにおいても、全く一致するということはなく、そこでもまた人は無数の共同体に属しているといえます。

命がけの飛躍は時々刻々と行われています。
それならば、飛躍の精度を上げるための方策を、考えてみるべきだと思います。





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