ショートショート「能力主義」
「よしよし、入金されてるな」
約束の15万円が振り込まれていることを確認すると、無職の男「キナシ」は、生まれて初めて時代の変化に賞賛した。3年前、働かずとも一定の金額が全国民に給付される制度が始まってから、キナシは勤めていた会社を何の躊躇いもなく退職。以降は朝の3・4時間ほどだけアルバイトをしながら追加の小遣いを稼ぎ、悠々自適な生活を送っていた。
国民の半数は”働かない生活”を選択する一方。変わらず働き続ける選択をした者たちは、時代の変革を受けたことでさらに精力的となり、あくなき探究心を燃やし続けている。世界は綺麗に二極化されたのだった。
「おいキナシ。お前は操り人形かよ」
「あぁん?」
キナシの親友「ヤルオ」は、怠け腐ったキナシに言い放つ。何となく癇に障ったキナシは、すかさずヤルオに反論した。
「俺は誰にも操られてねぇよ。むしろその逆だ。俺は自由になったんだ。俺からしたらヤルオ。操られてるのはお前だよ。いまだに働いてるなんて時代遅れもいいとこだぜ。まさに社会の奴隷だな」
「お前はわかってないなキナシ。国は国民に楽をさせようと思ってこの制度を取り入れたわけじゃない」
働くことを選んだヤルオの言葉に、キナシは少々の興味を惹かれる。
「なんだ、それどういう意味だよ?」
「いいか、これは国規模の整理整頓政策なんだ。もっと簡単にいうと、『いらない人間の選別』だな」
キナシの眉毛がピクンと動く。まるで自分のことを言われているように思えて腹が立ったからだ。
「ヤルオてめぇ、俺がいらない人間だってのか」
「まだ何も言ってないだろ。いいから聞けよ。会社にやる気のない社員がいるだろ? そいつは利益をあげていない赤字社員ってやつだ。しかし勤めている以上、その社員には給与を払わなければならない」
「当たり前だ! 会社に勤めてやってるんだし、俺たちの時間にだって金と同じくらいの価値があるんだぜ?」
「そうだな、その通りだ。でもな、会社はそれじゃあ困るんだ。働いてもらう以上、会社の役に立ってもらわないと成長できない。経営者も一人の人間。つまり、”夢”があって起業している。お前だって、自分のやりたいことを邪魔されたら腹立つだろ?」
「まぁな」
「本来なら、社員も経営者と同じ情熱を持って入社しなければならない。でもほとんどが、生きるために何となく就職して、何となく時間を消費している人間だ。そういう奴の大抵は仕事をこなしているのではなく、"やり過ごしてる"だけなんだ。キナシ、お前はどういう想いで働いた?」
「それは……」
鋭利なナイフが直球で心臓に突き刺さったような感覚に、キナシは思わず怯んでしまった。何か言い返してやろうと思っていたようだが、言葉が思いつかなかったのだ。すかさずヤルオは話を続ける。
「今この国は、”能力主義”の旗を掲げようとしている」
「能力主義?」
「国はさりげなく”能力ある者”を残そうとしているんだ。優れた能力者は、その力を他人のために使おうとする。能力者は自身の能力をちゃんと理解し、知的好奇心を持って新たな可能性に挑むチャレンジ精神を持っているからだ」
「でもよ、人はみんな何かしらの特技を持ってるじゃないか」
「じゃあキナシ、お前の能力はなんだ?」
キナシは急に口をつぐんだ。自分に何ができるのかを、はっきり伝えることができなかったからだ。自分のことは自分が一番理解していると思っていたが、実際には何も知らなかったのだ。
「そういうことだキナシ。ほとんどの人間は自分の能力に気がついていない。気がついていないということは、能力を持っていないのと同じことなんだよ。そういう人間がどういう選択をするか、お前にはわかるか?」
「与えられた仕事だけを何となくこなす……」
「わかってるじゃないか」
悔しいが、キナシの頭の中にはこの回答しか思い浮かばなかった。
「働く必要がなくなれば、自分の能力を知らない人間は第一線から退却する。ただただ国から与えられた禁断の配給を無意識に受け取るだけだ。お前が受け取ってる給付金はな、国が操り人形を炙り出すために考えたタチの悪い作戦なんだよ」
「無能は淘汰されるってか」
「そういうことだ。俺はお前にそうなってほしくないんだよ」
黙り込んでしまったキナシは、眉間に谷ができるほどの皺を寄せ、額に血管を浮き上がらせた。
「ヤルオ、俺は腹が立ってる」
「キナシ、誰に対してだ?」
キナシは一呼吸置いて答えた。
「自分に対してだよ!」
涙を堪えながら訴えるキナシを見てヤルオは呆気にとられたが、まもなく友の悔し涙だと理解し、喜びの笑みを浮かべた。キナシは気づいてくれたのだ。
「キナシ、これは友としてのお願いだ。国の政策に呑まれるような人間にはなるな。反対に、国を利用して生きる能力者になるんだ。真にそれを実行できれば、お前は本当の自由を手に入れることができる」
「当たり前ぇだ! 誰が操り人形になんかなるもんか。俺は俺だ。生きたい人生を生きるんだ」
「お前の人生だ。ゆっくり考えて決めるといい」
「悪かったなヤルオ。俺はやっぱり馬鹿だった」
「そんなことはないぞキナシ。本当の馬鹿は、流されるだけ流されて考えもしない奴のことを言うんだ」
「そのくせ文句は垂れるんだろ?」
「そうだな」
「さっきまでの俺じゃねぇか!」
キナシとヤルオは笑い合う。
「そうと決まればさっそく実践だ! 国に頼らず生きる底力を見せてやる」
「そうこなくちゃな! まずは何からやる?」
キナシは空を見上げ、先程までとは打って変わった真剣な眼差しで応えてみせた。
「とりあえず15万円を出金しよう。話はそれからだ」
了
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