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パラダイムシフト(殺人出産/村田沙耶香)

10人産めば1人殺せる「殺人出産制度」が導入された未来。
人工子宮が発達し、年齢・性別を問わず誰でも「産み人」になることができる。彼らは尊い存在とされ、10人産み終えた産み人によって合法的に殺された人物もまた、葬儀では白い服を着た参列者から崇められていた。
産まれた子供はセンターに預けられ、子供を欲しがる家庭に引き取られていく。
殺意が人口を増やす装置として機能し、殺人=悪ではなくなった世界を舞台に、作者が描きたかったものは何だろうか?

主人公・育子には、17歳にして産み人になる道を選んだ姉がいた。
育子の周りの人間は皆、殺人出産制度を素晴らしいものとして受け入れ、恋愛や性行為の先にある妊娠など時代遅れだと口を揃えるが、ただ一人、同僚の早紀子だけは違った。

早紀子は古い(現代の我々からすれば正常な)倫理観を持っており、育子の姉を「狂っている」と批判するが、それに対して育子はこう返す。

「働きアリの寿命って、2年くらいだそうですよ。でもこの子たち、私たちが小さいころから、変わらずずっといますよね。知らないうちに、命が入れ替わってるだけで、ずっと存在している」
(略)
「私は早紀子さんにまったく共感できないわけじゃないですよ。でも私たちの脳の中にある常識や正義なんて、脳が土に戻れば消滅する。100年後、今地球上にいるほとんどのヒトの命が入れ替わるころには、過去の正常を記憶している脳は一つも存在しなくなる。古代から変わらない、ヒトという生命体が蠢いている光景の中でね」

ここで、作者が描きたかったものは単なるディストピア的な世界ではなく、パラダイムシフトであることが分かる。
いま当たり前とされる正しさや価値観、倫理観などは、所詮いまを生きる人間が作り出したものであって、絶対的なものなど何一つないのだと。育子の姉が「世界が正しくなってから救われた」と言うように、誰かにとっての間違いは、他の誰かにとっては正しさであるのだと。
(村田さんの作品は全体的にこのテーマを扱っているような気がする)

殺人出産制度が導入された未来の日本では、昆虫食が流行っている。
蝉を丸ごと焼いたような「蝉スナック」が美容にいいと若い女性の間で大流行し、スタバでは新作の蝉ベーグルが提供されている。
「こんな世界狂ってる」と主張する早紀子が、みんなと一緒に平然と蝉ベーグルにかじりつく場面。さらりと描かれているものの、「昆虫を食べるという常識の転換には疑問を抱かないくせに、殺人出産制度を批判できるのはなぜ?」という作者の皮肉を見たように思った。

単行本には表題作のほか3つの掌編が収録されていて、複数愛や婚外交渉が当然のものとして認められた世界、「死」がなくなった世界など、非現実的な設定ばかりが並ぶ。
だけどそれらが全て非現実的だなんて、どうして言えるだろう。

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