不安と生きる(出セイカツ記/ワクサカソウヘイ)
ライターの著者が、この本のサブタイトルでもある「衣食住という不安からの逃避行」を図るべく、身を挺して様々な実験を行うエッセイ。
…と言っても分かりづらいのであえて言葉を選ばずに言えば、「金がない。不安だ。家賃や食費がかからなければこの不安は解消されるのか?」という疑問に徹底的に立ち向かった記録である。
野草を食べ、川で魚を突いて自給自足を試み、断食にも挑戦。「そもそもお金って?」という疑問に立ち返っては、拾ってきた石や自作の泥団子を販売、スッポン釣り、カラス駆除などで稼ぐ方法を試みる。毎日少しずつ服を捨てては裸族へ近づき、挙句の果てには「木の上で暮らせば家賃が浮くのでは?」などと考え木登りをする。
こうして文字に起こすと無茶をしているだけのYouTuberのようだが、クスっと笑える文章に加え、全ての実験に対する考察が核心をついていて、この本を図書館で借りたことにより彼の印税チャンスを奪ったことを申し訳なく思った。
例えば「暇と退屈の経済学」と題された章。
浜辺で拾ってきた石を、フリマで1つ100円で売ろうとするも全く売れない。そこで彼は、ウイスキーを1杯500円で売り、その横で石を売ってみる。すると、ウイスキーを買った客が、どうしてかついでに石を買っていき、石だけで5千円の収益を得た。
こうして無用の石を売っているうちに、ひとつ、思い至ったことがある。人はなぜ「買い物」をするのか、ということである。
それはおそらく、「暇つぶし」に他ならないのだろう。
石の手前にウイスキーを用意したことで、お客さんには「暇」が発生した。お酒が提供されるまでの間、およびお酒を飲んでいる最中の時間が発生した。人間は余暇が生まれると、それをつぶそうと躍起になる。それほどまでに、暇とは怖いものだからだ。だから、さっきまでは興味も抱いていなかった石に目を注ぎだす。そして、そこに価値を見出そうとし始める。こうして「暇つぶし」が行われ、「買い物」という行為が発生する。
拾った石を売るという阿呆な行為に対して、あまりにも鋭い気づきにドキッとさせられる。
そんな気づきが得られるのはきっと、彼の全ての実験の根源には「不安」があり、不安を解消しようと、その正体を暴こうとする強烈なまなざしがあったからなのだと思う。
この本の最後、著者は不安の正体を「この世に存在していることの恐怖」であると結論づける。
「不安を限界値まで赦す。さすれば『生』の有様はさらに密度が高まり、『死』の手触りに怯えなくて済むのだと、信じている。」と。
「不安は心配とは違う、前に進む原動力となるものだ」というニュアンスの言葉を、昔誰かが言っていたのを思い出した。